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先日、ある方のブログに熱くなり(?)
「試練は越えられる人にしか与えられないんだ」 という思想は嫌いです。 みたいなことを(その方のブログに)書きました。 (なんてヤツだ) まぁ、前にもここに書いたと思いますが・・・。 これって、一見正論で、褒め言葉(慰める時に使う)で、ポジティブ的に捉えられるかもしれないけど、 あんまり良い「言い方」ではないと思う。 あぁ・・・そうか。 言い方、なんですよ、言い方。 思想じゃなくて。 「乗り越えられる人にしか与えられない」 なら、与えられないような軟弱者の方がいいじゃないですか。 試練に対して果敢に立ち向かうことができればいいですけど、 もし、耐えられなくて心が病んでしまった場合、それでも乗り越えることを求められるのでしょうか。 そんな「選ばれし者」なんか、なりたくないですよね。 じゃあ、選ばれた自分は、その先に何があるの?って思ってしまいませんか? 知らないなら、知らない方が良い。 「あぁ、あの人、知らなくて可哀想だね」と哀れみをかけられたとしても、 当の本人はわからないから、それはそれで幸せだと私は思う。 知らないから、感じることもないし、気づくこともない。 わからないなら、何もわからなくて済むんだから。 だから、わざわざ「選ばれし者」になる必要はないと思う。 そんなことを冷ややかに思っていた私ですが、 言い方を変えることで、納得してしまった自分がいました。 ある本(浅見帆帆子さんという方)の受け売りではありますが、 「与えられた試練は、乗り越えられる」 思想的には同じですが、言い方が違うんですよね。 (卵と鶏どっちが先?と同じだと思いますが) 与えられた試練は、乗り越えられる・・・・だから、与えられてしまったんだ。 (という発想ができると思う・・・そして、「だから、大丈夫」と思える) 冒頭の場合、 試練は乗り越えられる人にしか与えられない・・・だから、与えられてしまったんだ。 (という発想もできるかもしれないけど、なんか重くないですか? 凹んでるのに、無理矢理「だから、頑張れよ」と背中を押される感じ) 言い方一つで、ものすごく変わるんだなぁ、と思いました。 (あくまでも私の主観ですが) 良い言葉を使えるようになりたい、と思う今日この頃です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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