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2009.03.04
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カテゴリ:ショートショート
狭間で揺れる。
などとセンチメンタルになる気はない。
そもそもセンチメンタルとはどういう意味か。
辞書を引いてみたい気に駆られるが
我が愛すべき借家に辞書などない。
吾輩の辞書に不可能の文字はない。
いや言ってみたかっただけだ。
つい最近男に捨てられた。
何だかんだと言い訳はしていたが、
結局私の感性についていけないという
御託めいた戯れ言宜しくいつものことであった。
どこぞに靡きの良い女でも出来たのだろう。
元来私は可愛い頭のない女ではない。
合理的に現実主義を押し通す女である。
世間を女一人でも生きていけると宣って憚らない。
私はその系統の女であるから男ウケは悪い。
男というのはあれだけ間抜けで短絡的にも関わらず
自尊心や矜持というものに酷く拘る。
女が少しばかりでも彼の言に具申しようものならば
沽券に関わると面目のことばかり口にし始める。
そんな生き物であるから
私もそれなりに気を遣ってきたつもりであったのだが、
どうもやはり駄目だったらしい。
今回も半年足らずで別れを切り出された。
私は自分のことを意外とさばさばした人間だと思っている。
あまり俗事に惑わされることもなく
何が起ころうとも楽観的に捉え
浮き雲のように飄々と無頓着を決め込める人間だと
そう思っていた。
いたのだが、どうも年齢的なことも加味されたらしい。
男が部屋のカギを突き返してきたときには、
そのカギの重たさに思わず涙が溢れそうになった。
もちろん他人となる人間の前で失態を働くことは出来ない。
さっさと帰ってくれと憤懣を露わにしたように怒鳴ることで
自分自身の思考の矛先を何とか背けることに成功はした。
だから男は私が意外と脆い女だとは一生気が付かないだろう。
本当に繊細でか弱い女とこれからの一時を楽しむのみ。
ただ捨てられたから言うわけではないが
あの男では別の女と渡りを始めたとしても
やはり永くは保たないだろうなという予感はある。
だらしないとまではいかないが
優柔不断で女に安心感を植え付ける能力が欠如している男だった。
それでも私のような女ならば自力で安心感を補填できる。
だから何の問題もなかったのだが、
それがことか弱き女となってくると話は別だろう。
甘えたいときに酷く覚束ない落ち着かなさを絶えず匂わせ
頼ろうとすると急に怯えたように目が泳ぐ。
繊細でか細い声で鳴く猫は甘えたいから近寄ってくるのである。
飽くまでそこにあるのは共同生活ではなく一方的な依存なのだ。
それが叶わないと見るや逃げていくのは必定。
そこに利害関係の一致がないのだから仕様がない。
私のように男の虚弱を許容出来る系統では
当の本人は事足りぬのだからそれもまたしょうのない。
そんなわけで私は一人になった。
誰かとしゃべっていれば紛れる気分も
一人のこの1LDKという畜生の中にいては
鬱々と堆積していくのみで流れることがないように思われた。
一人というのがこれほどすることがないとは長らく忘れていた。
気が付けば男に組み敷かれていたあの頃を思えば
むしろ時間が余るなどということが不思議になる。
しかしどうにもこうにもこのままでは悪いのだろう。何かに。
とりあえず何か当面の気晴らしを見つける必要があると思った。
考えてみれば私は無趣味だった。
何かに朴訥に無頓着に生きている人間であった。
それでも端正とはいかぬまでも受け継いだ遺伝子の七光りのおかげで
これまで異性を知らぬということはなかったのだが
もしかすると私は面白くない女なのだろうか。
はたと考え込んでしまった。
だから捨てられたのだと思えば合点がいかぬこともない。
しかし面白くない女であれば半年も面を合わせたりするだろうか。
という疑問もまた拭えなくもない。
面白くもなくつまらなくもない。
濃いめの中華もあっさりの京風も飽きたから
ちょっと原点に戻って定食屋の生姜焼きにでもしようか。
とそれ位の気まぐれだったのだろうか。
と考えていてさすがに情けなくなったのか
もう何もしたくなくなってふにゃっと机に突っ伏す。
そんな時だ。
「オレじゃ駄目かな」
声がしたのは。
私はこれでもかと首を振り回した。
がもちろん誰もいない。
一瞬テレビかとも思ったがもちろんテレビは点けていない。
じゃあ隣の音でも漏れたのかと思ったが、
ここは二階の角部屋で唯一のお隣さんは二年も前からもぬけの空だった。
では。合理的解釈をすると声はこの部屋で発生した。
けれど本来声を発生させるような要件は見当たらない。
私が夢遊病にかかったのだとすれば説明はつくが、
とりあえず心因性の問題というのは考慮から外すことにすると
一体全体どういうことなのだろうか。
と言うまでもなく合理性が答えを導き出している。
つまり常軌を逸した何かが起こっているということだ。
というような結論に帰結してしまうこと自体
かなり心因性の何かを勘ぐられてしまいそうな気がするが
空耳であったと思うにしてはその声の響きは重く確かだったのだ。
その時ふと部屋の片隅で燻る熊のぬいぐるみと目が合った。
そう目が合ったのだ。
「君が望むなら――君がそうオレに望むなら。
 その沈むように深い悲しみすら消す魔法だって使ってみせるよ」
熊の円らなまなこが淡く煌めいていた。





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最終更新日  2009.03.10 17:45:34
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