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東方見雲録

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2024.08.10
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カテゴリ:郷土

 「坑道の形はまるでアリの巣」「鍛冶屋、製材所もあり、大抵のことは鉱山内で自己完結していた」-。鉱山の歴史だけでなく途中で目にする機械や道具の用途は、説明がなければ理解できなかっただろう。

 2009年、若松鉱山は経済産業省の「近代化産業遺産群」に認定されたが、施設の崩壊は進むに任されている。地図を見ると、地上部の施設は坑道を含む若松鉱山全体のほんの一部。にもかかわらずその規模は、保存には膨大な資金・労力が必要と素人目にも分かるほどだ。

 若松鉱山は近年、その価値が再認識され県内外から見物客が訪れる。元鉱山関係者らでつくる同会はガイド料とは別に、保護協力金として1人当たり1500円を集めている。しかし、公的資金の支援なくして遺構の荒廃を押しとどめるのは難しいのが実情だ。

 若松鉱山をどう保存し、観光資源として地域活性化に役立てるか。行政も巻き込み議論を深め、すぐにでも動かなければ手遅れになる。それほど老朽化の波は迫り、“日南の宝”をのみ込んでしまいつつある。
引用サイト:日本海新聞  こちら


鉱床は隣接する新屋の広瀬鉱山にも続く。鉱山労働は危険と隣り合わせである半面、賃金は高く、県外からも労働者がやってきた。最盛期の昭和30年代には若松鉱山では100人前後、広瀬鉱山では150人前後が働いていたという。

 鉱石は、伯備線生山駅から岡山県備前市や兵庫県赤穂市などへ運ばれ、製鉄炉用の耐火れんがの原料となった。生山駅と多里の間には省営トラックが往来し、1945年には鉄道を引き込む請願が貴族院で採択されたほど活況を呈した。

 多里地区は、若松、広瀬の両鉱山で働く人たちでにぎわうようになった。宿舎もあり、街は“鉱山バブル”に沸いた。

 最盛期の昭和30年代には多里の人口は約2500人に増え、鉱山の仕事が終わる夕方から旅館や飲食店で宴会が始まる。衣料品店や電気店、パチンコ屋も。週に1回は劇場に映画や芝居が来たという。

人通り少なく
 外国から安い鉱石が入ってくるようになると、街の活気も次第に失われていった。広瀬鉱山は1984年に閉山。若松鉱山も鉱石を完全粉鉱化して品質を高めるなど努力を続けたが、生産調整が続き、平成期に入ると従業員も50人を割り込むように。ついに96年に休山、2001年には運営会社が鉱業権を放棄した。
・・・・
若松鉱山を後世に残していくために、私たちに何ができるのか-。産業遺産学会の小西伸彦理事長(65)=岡山県総社市=は、史跡化するなどして早く景観を維持する方策を取らないと「手遅れになる」と説く。

 国内でも、若松鉱山ほど採石から選鉱までの産業のシステムがそのまま残る場所はない。特に機械が残っているのは珍しい。索道や貯鉱場、トロッコの軌道も残る貴重な産業遺産だ。

 ただ、雪や雨で機械類や建物もかなり傷んできた。建物を支える柱が駄目になったら一気に崩れる。いま何らかの手を打たないと数年後には後悔することになってしまう。また、不法侵入者により図面や物品が持ち去られている。皆さんに関心を持ってもらうのはいいことだが、遺物を持ち去るのはモラル違反であり、絶対にやめてほしい。

 鉱山の中、どこに何があるのかを調査し、優先順位をつけて守る物を決めるべきだ。現地でそのまま残す物、別の場所で保管する物とを分けたい。鉱山に残った資料類や機械類をレスキュー(救出)するツアーを企画してはどうか。手弁当でも参加者は全国から集まるはずだ。

 今後、鉱山は観光資源として生きていくしかない。ある程度安全なところは、観光客にも入ってもらえばいい。日南は食べ物もおいしい。観光客が地元にお金を落とす仕組みがないと続かない。地元の民宿や飲食店も潤う仕組みを考えたい。

 島根県の石見銀山は、廃虚だった遺構だが、世界遺産となった。世界遺産の軍艦島(長崎市)も、国有形文化財に登録された摩耶観光ホテル(神戸市)も、もとは廃虚だ。廃虚に対し日本人が持つイメージを修正するのは難しいが、価値観は大きく変わりつつある。

 日南町には、ぜひ史跡化を検討してもらいたい。鉱山関係者や家族に情報提供を呼びかけ、鉱山に関する資料を集めてほしい。今やらないと間に合わない。

 若松鉱山がどれだけ地域を潤してきたか。公害も出しておらず、鉱山の“優等生”だ。昨年11月、産業遺産学会の全国大会を日南町で開き、「鉱山遺構の研究調査と明日への議論を深めることを強く希望し、学会は後押しをする」との宣言を採択した。町民の皆さんには、「わがまちの産業遺産」として鉱山の価値に自信を持っていただきたい。(談)
引用サイト:日本海新聞  こちら

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参考サイト:歴史的資源を活用した観光まちづくり 内閣官房  こちら

参考サイト:先駆的な取組やアプローチの事例 国交省 こちら

参考サイト:近代化産業遺産 Wikipedia情報  こちら

参考サイト:若松鉱山 Wikipedia情報  こちら

参考サイト:天空の要塞 若松鉱山 山陰まんなか こちら

参考サイト:日本大学理工学部建築学科作品集  こちら





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Last updated  2024.08.12 06:38:25
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