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東方見雲録

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2024.09.23
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カテゴリ:政経




9月23日、立憲民主党の新代表に野田佳彦衆議院議員(67)が選出された。そんな野田氏が38年間、毎朝続けているのが“ビラ配り”だ。そこには政治家としての“原点”が深く関係しているという。

【映像】ビラ配りをする野田氏(実際の映像)  こちら

かつて総理大臣も経験した野田氏だが、38年間、ほぼ毎日駅前に立ち、自身が書いた“かわら版”と呼ばれるメッセージを通勤客に配り続けている。なぜそこまでするのか。それは松下政経塾時代の師匠・松下幸之助氏の「人が集まるところで皿回しをして、足を止め、意見を聞いてもらう」という教えからだ。野田氏は皿回しの代わりに自身でビラを配ることを選んだ。
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天気にかかわらず街頭でのビラ配りを続けてきたが、毎日が快適な朝ではなかった。なかでも、JR津田沼駅の北口に立った「一番つらかった日」を振り返る。「105票ですからね……」。

1980年、大学卒業後、松下幸之助氏が私財70億円を投じて設立した、指導者育成を目的とした私塾「松下政経塾」に、第1期生として入塾した。全寮制で5年学ぶなかで出会った、同い年の“マブダチ“が、静岡県の鈴木康友知事だった。
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松下政経塾を卒業した野田氏は、「地盤・看板・カバン」のないなか、松下氏の教えに従って、ビラを配り続けた。鈴木氏いわく「本当に当時は、政治の世界は、雲の上の存在で、5億円あれば当選するが、4億円で落ちる「5当4落」なる言葉もあった。庶民が近づける世界ではないが、とにかくハンドマイク1本持って、有権者に思いを語りかけるところからスタートしないといけない。それを愚直に実践したのが野田氏だった」という。

自民党はその頃、リクルート事件や東京佐川急便事件など、政治とカネに揺れて分裂した。野田氏は1993年、細川護熙氏が率いる日本新党から、衆議院議員選挙に出馬し、初当選した。その総選挙で宮澤喜一内閣は総辞職し、自民党は野党へ転落。細川連立政権が誕生。

1994年の政治資金規正法改正によって、企業・団体献金の対象は政党などに限定され、パーティー券購入者の氏名の公開基準は100万円から20万円に引き下げられた。政党助成金制度も導入された。同じ政党の候補者同士が利益誘導を争うとして、衆議院は中選挙区制から小選挙区制に改められた。

これらを実現する政治改革四法は1994年に成立し、1996年に小選挙区制で初めての総選挙が行われた。
引用サイト:こちら

関連日記:2024.06.16の日記 津田沼駅  こちら
関連日記:2023.12.12の日記 令和のリクルート事件  こちら

追記 0925
「論戦力」総裁選の焦点に=野田新代表、自民が警戒  こちら





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Last updated  2024.09.25 15:10:42
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