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東方見雲録

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2024.10.01
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カテゴリ:スクラップ
2003.10.01の日記  こちら

10月1日
法の日
最高裁判所、検察庁、日本弁護士連合会(日弁連)の進言により法務省が1960(昭和35)年に制定。

1928(昭和3)年のこの日、陪審法が施行された。

・・・・
陪審法における陪審員は、直接国税3円以上を納める日本国民の男子から無作為抽出で選ばれた12人で構成されました。対象事件は、被告人が否認している重罪事件。陪審員は、有罪・無罪の結論を出し、裁判官に対し「答申」しますが、裁判官は法律上これに拘束されず、「答申」を採用せず審理のやり直しを命じることができました。

また、被告人は、陪審員による裁判か、裁判官による裁判かを選択することができました。

この法律の下で行われた陪審裁判は484件、無罪率は16.7%でした。

1943年、陪審法は停止されるに至りました。

その理由については、「陪審事件数が減る一方、戦争が激化する中で、陪審制度維持のための労力(市町村による陪審員資格者名簿・候補者名簿作成の事務負担など) を削減する必要があるため」と説明されています(岡原昌男「『陪審法ノ停止ニ関スル法律』に就て」(法曹会雑誌21巻4号・1943年)参照)。

そして、陪審事件数が減少した理由については、さまざまな分析が行われています。そもそも、日本国民は裁判官による裁判を志向したとの見解もある一方、制度上の問題点を指摘する見解もあります。

例えば、陪審法の下では、被告人は、有罪判決を受けてもこれに対し控訴することができませんでした。また、事件によっては、有罪判決の場合、訴訟費用や高額に上る陪審費用(陪審呼出の費用や日当、宿泊料など)を負担するリスクもありました。さらに、陪審裁判の選択は、審理前に、担当裁判官への不信を表明することを意味します。陪審法では、陪審の判断は裁判官にとって「参考意見」にすぎず、最終決定は担当裁判官が行いましたので、被告人側にとっては、裁判官の悪印象を避けたいとの心理的抵抗があったともいわれています。こうした理由から、被告人が陪審裁判を選択しづらかったと指摘されています。

陪審事件数が極端に減りながらも、政府は、陪審の「廃止」を選択しませんでした。政府は、停止法案の提出にあたり、「施行の停止は戦時下の緊迫する諸般の事情に鑑みれば妥当であるが、制度の理念としては平時であればむしろ望ましいといえるから、廃止するのではなく停止とし、戦後の再施行を考慮する」、と説明しています。陪審の「停止」は、国民の司法参加の理念に大きな意義を認めた上での、1つの大きな選択でした。

それから60年余が過ぎました。陪審法は、その理念の復活を待っているかのように、「廃止」ではなく「停止」のまま、現在でも、法律として生きています。


横浜地方裁判所陪審法廷(移築復元)-学校法人桐蔭学園提供

引用サイト:こちら

陪審法 Wikipedia情報  こちら





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Last updated  2024.10.01 00:00:23
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