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カテゴリ:発想の小転換
こんちは、かもしだ(元牛乳パンいちご味)です。高校生の帰り道の友。
恩師が5月4日に亡くなりました。 亡くなったまさにその時間、ワタシは自転車屋に行って、試乗してました。 本当に、晴れた気持ちのいい日で、健康のためとヒザの保護のため、運動と食事改善をし、ウエートを落とし始めて1ヶ月経ったそんな日で、前々から「晴れた日に試乗しにくるといいっすよ」てな自転車屋の誘いに呼応した行動でした。 始めて乗る細身のタイヤはワタシのこの体重を乗せきれるのか、と不安になりましたが、転がり抵抗がとても小さいためか、小さな踏み込みで、すーっと前に進むんでした。 亡くなった恩師は、職場には自転車で通いなさい、腰に手ぬぐいをかけなさい、極詩的に生きたいね、と常々行ってました。 合理化の対局に生き方を求めるには、自分だけを納得させる理由が必要です。 とても優しい恩師でしたが、ある意味とても怖かった。高い壁のような人物でした。ワタシは死ぬまでかかっても到底恩師の様にはなれないけれど、いまできる詩的な生き方をしていこうと心に決めたんでした。 なんのために稼ぐのか、家族のためか、自分のためか、自分を含めた家族の未来のためか、はたまたその全てか。 ともすれば、間延びして弛んでしまいそうな、生きる理由をまた考えよう、19才の頃のように。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006.05.17 21:14:02
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