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カテゴリ:のどかな一日
昼休みに歩くようになったのは、医者に体重落としなさいと言われたこともあるが、脚の筋肉が身体の中でも相当大きな質量を持っていることに気づいたから。
尻からふくらはぎまでの筋肉に充填されている血液の量を考えると、脚の筋肉をよい状態にすれば、巡りがよくなり、健康に近づくことがすぐに想像できる。 ちょこちょこいろいろな本や雑誌にウォーキングの記事が載る。 今まであまり気にもかけなかった「散歩」の記事が目に飛び込んでくるようになる。 腰を意識して歩こう、とか専用シューズにはかっこいいのがないなあ、とか雪道用の散歩シューズはまず見かけないな、とか。 歩くより走る方が、身体にはいいらしいが、「目的地まで急いで行く必要がある」ときにヒトは走るわけで、走ること自体に意味を持たせるには、相当の素直さが必要である。 早足と同じスピードで走ることから始めよう、とかいう記事も目に飛び込んでくる。 ヒトは思考のターゲットが深く狭くなるほど、そのターゲットに関する資料を世の中から発見しやすくなる生き物だと思う。目が情報を探し、マーキングするサーチライトと化す。 漫然と暮らすヒトには、穏やかな世界が見え、こだわるヒトには、世界はまだ発見できない宝物で溢れかえっているように見えてくるのだ。 雑学的でもイイ、学際的でもイイ、こだわり、出会い、つながり、拡がる。 その枝先に、新しいこだわりの芽が膨らむ。 全ての枝先の芽に栄養を与えるほどの時間と気力は無いので、絞って、他は剪定する。そんな風に生きる生き方が、自分らしいと最近実感し始めた。整理整頓だ。 事実、ここまで、やっとこ生きてきた。 ここからもどうにか生きていくつもりだ。 少し前を見て、目的地を決め、息が上がらない程度に少しだけ早足で、ずんずん歩きたい。 BGMは、いっぽんどっこの唄、ね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009.02.12 23:53:15
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