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「一緒にいる理由がない人間達」が、「まるで、よろこんで、一緒にいる」ように振舞わないといけないことが問題なんだよね。 宗教にしろ、経済階層にしろ、好みにしろ主義にしろ、そこまでゆかなくても、聴いてる音楽のジャンルにしても、個別に違っているのが、選択肢の多い近代社会なわけで。 たとえば、同じクラスに、経済階層の違う子がいて、そいつが塾にも通っていなかったりしたら、まぁ、浮くわな。 そこにヒューマニズムつーか、「人間だもの」っていう仮の枠組みが組まれて、その子は、「クラスの仲間」というふうに取り込まれるのだが、現代にも生きている宗教の人間集団の定義からしたら、そうゆう、道徳的な仲間意識は、「うす甘い」わけで。 より、肉感的というか、実行力のある原理のほうが働いてしまうわけだ。 集団の習性。つまりイジメとか排斥したりとか、おこる。 あとさ、過剰流動化した労働環境なんてのも、あれ。 派遣会社とかでの労働って、行った職場ごとに面子がかわって、その職場にとりあえず構築された人間関係があってさ。 精神的にだめになってくるヤツ多いんだよね。 「見切り」ができなくて。 --- いま、かかわってるホストクラブの男の子達も、苦しむ性質の子がおおい。 ホストクラブってさ、ヤンキーとかヤクザとかの仲間意識に信頼をおいてる人間関係で。 世界を「内と外」に分けるというか。 まぁ、ホストってお互いが独立事業者とか言う声もあるけど、実際はそうじゃないかんね。 まったりとした人間関係が、成功の成否を決めてる部分が、こんな場所でさえあるんだ。 ホストクラブの子たちで言うと、その中にいてさ、「仲間意識の方向や力関係を読む」ことに上手になっちゃうと、やっぱり通常の、「まったり」とした、「うそ連帯感」には、ビクビクしちゃうんだよ。 「ここは、内なのか?外なのか?」って部分に戸惑い、ストレスを感じやすくなる。 -- 最近の僕は、人間の集団には、「前提」と言えるものが絶対条件だと思うようになった。 それをちゃんと見るようになったって言うか。 民族なんてすごいよ、民族に宗教が加わって、生活習慣にまでなって、生活の仕組みや経済の仕組みが付いてくれば、ばりばり「私達」とか「我々」っていう前提が迫力をもつわけじゃない。 世界的にみてさ、宗教、イスラム教が爆発的に信仰者を増やしている。(以外だけど) それは簡単な理屈で、イスラム教は、多々ある宗教の中でも、神にたいする「態度」がもっとも重要だという宗教で、個々人のマインド・・・心根の部分で裁かれたり懺悔させられることがないんだよね。 イスラムの神ってのは、寛容すぎるくらい寛容だから。 生活でもビジネスでも、「神」さえ立てる姿勢があれば、「内輪」になれるんだ。 そして、その「神に対する態度」っていうのは、「隣人にもばっちり丸見え!」ってわけで。 「一日五回礼拝する」「豚肉はたべない」とかさ。 偶像崇拝もしないから、やはりマインドまでは問われない。 ものすごく、集団の前提となるものを実感しやすいんだよ。 --- とにかく、僕は、そろそろ、「安心」したくなったんだ。 共同体原理を知ってゆき、そこに、言葉なく影響を出してゆくことが、大事。 一人だけ突出してなくてもいいし。 どの方向に「安心の方向性」「内輪意識」が働いているかがもっとも大事。 資本主義の衣食住の提供を超えたウソ臭い部分についても考えることもいらない。 自分の共同体だけを自治してゆけたら、それでいい。 すべては、物語なんだ。 経済的に困窮しているすべての人々に手を差し伸べなくていい。 隣人にだけ、手を差し出せたらそれでいい。
明確に内と外を分け隔てていい。 それでも、生命としての部分では、世界と共通しているのだから。 一番パワーの出せる最小単位を持っていればいいんだ。 それでよかったんだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006.10.09 17:23:46
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