豊後伝説☆彡焼やせうま
大分市の目抜き通りにあるトキハのB1には県産品がずらりと並んでいて時間のない旅行者にはうれしい。よくわからないまま名誉総裁賞というのに惹かれて購入。これが意外と美味しくて夫婦でびっくり。なぜ食べ物に痩せ馬だなんて・・と思ったら、平安時代、京都御所で育った藤原鶴清麿が幼少期難を逃れて豊後国に隠れ、乳母の八瀬(やせ)が小麦粉を練ってうどん状にした物に黄な粉をまぶして食べさせたところ、君はたいそう気に入り「やせ、うま」とよくリクエストしたよう。うまとは「うまいやつ」の略。八瀬が作った「やせうま」はこんな感じだったらしい。それをおせんべいにしたのがこれ。その後藤原鶴清麿がどうなったのか、京に戻れたのかはわからず。その時買った大分のヤマフネ九重高原味噌1kg。半分のサイズだったら良かったんだけどこれしかなく・・・。そんなに甘くなく使い勝手がよかった。真空保存して無事に完食。