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昨日、バドミントンの試合で無気力試合が発覚し、選手が失格になった。
その余波で、女子サッカーのグループリーグ戦で、引き分けを狙った日本チームにも非難が及んだ。 なでしこの引き分け戦略 米の批判を真に受けるなと女性作家 ロンドン五輪予選リーグを無事突破したものの、第三戦で引き分けを狙ったことが一部で批判されたなでしこジャパン。応援する立場としては、どう考えればよいのか。作家で五感生活研究所の山下柚実氏が指摘する。 南アフリカ戦をスコアレスドローで終えたなでしこジャパン。「状況によってドローを狙おうと(選手に)話した」と、試合後に語った佐々木監督。この戦いぶりには日本国内のみならず、海外でもさまざまな意見が飛び交い、物議を醸しています。 「公正で誠実に競技することがスポーツマンシップだというオリンピックの理想に合っていないと思う」(エイミー・ロドリゲス元米代表選手)。「そのような指示が心をよぎることさえありえない。勝つことで信頼を得るのだから、どんな試合でも勝利を目指す」(ピア・スンドハーゲ米代表監督)と米USAトゥデイ紙は伝えているとか。 佐々木監督の采配は優れた戦術なのか。それともアメリカの言うようなフェアプレー精神違反か。リスクマネージメントなのか、それともスポーツマンシップの欠如なのか。 そもそも、この議論の仕方って、正しいのだろうか? よーく考えてみよう。 サッカーは、数少ない点数で勝敗が決まるスポーツ。だから「失点を防ぐこと」は、決して消極的な戦いではない。優れたディフェンスをし、点を入れられないことは、立派な戦い方。だからその証拠に、試合に引き分けると「勝ち点」がつくのです。 そうしたサッカーの「特徴」を知悉しているアメリカの代表選手や監督が、引き分けた日本に対して「スポーツマンシップに反する」などと単純な批判するなんて、ありえない。どう考えても不自然。 何か思惑でも……? 日本に対するアメリカの批判は、メダル争いのためのいわば「政治的な発言」と読むべき。日本チームの戦い方にプレッシャーを与えて、今後の戦況を少しでも優位に展開するための状況作りでは。高等な「口頭」戦術と捉えるべきではないでしょうか? そんなものにマジでのってはいけない。 ただ一つ、佐々木監督のある一言には注目しなければいけません。 メディアではあまり話題になっていませんが、引き分けた試合後の記者会見で語ったこの一言。「テレビで見ている少年少女にも申し訳ない」(2012年08月01日「スポニチアネックス」) この一言に、佐々木監督の「誠実さ」を見たような気がしました。 大人の世界では了解される、「勝つため戦術」。しかし、子どもが学ぶべきスポーツの基本は、ちょっと違う。「どんなことがあっても全力を出して、精一杯、一戦一戦、勝つために戦う」という基本こそ、子ども時代に学ぶべきこと。それを見せられなかった試合だからこそ、佐々木監督は少年少女へむけて、真摯に謝ったのでしょう。 もちろんこの謝罪は、ブラジル戦で「全力を出して勝ちに行く」という宣言です。少年少女よ、今度こそ見ていて! という呼びかけです。 王者の地位へと辿り着くための複雑な戦術と、全身全霊をかけて戦う爽やかさと。佐々木監督となでしこジャパンは、その両方を見る贅沢を私たちに与えてくれているのではないでしょうか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2012年08月29日 23時48分04秒
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