ロマンス小説史(続き)
このところ連日掲載している「ロマンス小説史」の続きです。 さて、昨日の回でイギリスにおける貸本業の隆盛についてお話しし、また貸本屋さんの顧客として、軽いロマンス小説などを好んで借り出していたのが女性だった、というようなこともお話ししました。ですからこうした状況の中で、ミルズ&ブーン社が「女性」と「貸本屋」の組み合わせを有望な市場として捉え、この両者に気に入られるような出版スタイルを1920年代末頃から1930年代にかけて取り始めたのも、なかなか賢い選択だったと言えるわけなんです。 ところで、ここで言う「女性と貸本屋に気に入られるような出版スタイル」とは、一体いかなるものだったのでしょうか。 その点について、まず一つには「出版のサイクルを早める」ということがあります。何しろ前に言いましたように、平均的な貸本屋利用者は週に一度は貸本屋を訪れ、その都度2冊ほどを借りていくというのですから、客の回転はとても早い。ですから、月に一度新刊を出していたのでは、貸本屋の顧客からは忘れられてしまいます。とにかく、なるべくしょっちゅう「新刊が出ました!」という宣伝を打った方が有利であることは確かんですね。 で、ミルズ&ブーン社では1930年代半ばあたりから、2週間おきに2冊から4冊程度の本を出版する、というスケジュールを作ります。もともとミルズ&ブーン社は迅速な出版が売り物で、それゆえ、かつてアメリカの人気作家ジャック・ロンドンが、イギリスにおける自分の出版元として同社を指定したこともあったわけですが、1930年代にはこの旺盛な出版ペースにさらに拍車をかけ、ついに月に2回新刊を出すという過密スケジュールを立てて、せっかちな貸本屋の女性顧客の心を捉えるという挙に打って出たんですね。 しかし、このような過密出版スケジュール以上に、ミルズ&ブーン社が「女性顧客&貸本屋」対策として打ち出した決定的な出版哲学というのがあったんです。それは何かと言いますと・・・ 「商品」の均質化です。ガーン! つまり、ミルズ&ブーンが出版するロマンス小説を、面白さの点で均質化し、ある作品は突出して面白いけれど、別な作品はあまり面白くないということが無いようにしたんです。そしてロマンス小説のストーリーをパターン化し、皆、大体同じようなストーリー展開になるようにしたんですね。これは、考えてみるとかなり思い切ったやり方ですが、そもそも女性読者というのは、「読んでみたらガッカリ」という状況を極度に嫌うものですから、出版する小説の質を揃え、「一度気に入れば、どの本も皆気に入る」というふうにしておくのは、ある意味とても賢いやり方でもあるのですな。 ところで、こうした「均質化」の戦略を正当なものとして裏付ける資料に、Q・D・リーヴィスという人の書いた『小説とその読者層』(Fiction and the Reading Public, 1932) という本があります。この本はイギリスにおける一般大衆の読書傾向を分析したものなのですが、貸本屋に通う人々の読書傾向についての言及も若干あって、それによると貸本屋の顧客というのは、一度気に入った本を見つけると、「これと同じような本はありますか?」というふうに貸本屋の人に尋ねる、というのですね。で、貸本屋の人が大体同じような小説を差し出すと、内容を確かめもしないで借りていく。これは、貸本屋の側にすれば楽な商売です。 ですから貸本屋の方でも、そういう問い合わせの多い本を沢山購入することになるわけで、そうなれば必然的に「同じような本」が加速度的に貸本屋の書架を占めるようになる。先にも述べた通り、読者から評判の良かった本と同じようなストーリー展開、同じような結末をとり、同じような満足感を与える本を大量に出版することは、貸本屋全盛の時代、適者生存をかける出版社にとって、非常に賢いやり方なんです。 で、ミルズ&ブーン社はまさにそれをやった。つまり、同じようなストーリー展開をする、そして最後にはハッピーエンドが待っているような、そういうロマンス小説を量産し始めたんですね。本という商品について、その内容を思い切って均質化してしまったわけ。 しかも、ミルズ&ブーン社が得意としたのは、内容面の均質化ばかりではありません。本の体裁も均質化してしまった。前に、ミルズ&ブーン社の本はその創立当初から叢書形式にして体裁を揃えていた、ということについて言及しておきましたが、そういう「外側」の均質化にもさらに磨きをかけていったんですね。つまり「ブラウン・ブック」と綽名されたミルズ&ブーン社特有の茶色の地の製本の上に、ハリウッドの映画ポスターばりの派手なジャケットをまとわせ、それを同社のロマンスのトレード・マークにした。公共図書館の場合と違って、貸本屋では本はジャケットをつけたまま書架に置かれるので、こういう派手なジャケットがずらりと揃っていると、顧客からは「あ、あそこにミルズ&ブーンの本が並べてある!」という感じで、見つけてもらい易かったんですね。効果はてきめんなんです。 内容に出来不出来の差がなく、ストーリー展開も大体同じような、質の揃ったロマンス小説を、デザインに共通性を持たせた派手なジャケットに包み、これを「ミルズ&ブーン」という出版社の「商品」としてマーケティングを進める。これは、ロマンス小説の「ブランド化」だと言っていいと思いますが、ミルズ&ブーン社が1930年代の貸本業界の隆盛の中で選びとった戦略は、まさにその「ブランド化」だったんです。ライバル出版社との競争の中でミルズ&ブーン社は、個々の本の内容や著名な作家のネームバリューで勝負するというような伝統的な方法を止め、「ミルズ&ブーン」というブランド自体を売るという方法をとり始めたんですね。 実際、本を出版社のブランドで販売しようという戦略が意識的なものであったことは、1930年代の同社の広告を見るとよく分かる。そこには大体こんなようなことが書いてありました。曰く、「世は出版ラッシュで、巷は新刊本で溢れています。しかし大手出版社が出す小説には出来不出来の差があるし、ベストセラーといわれる小説もそうしょっちゅう出るわけではない。それに比べて我が社が出す小説は内容をよく吟味してあるので、どれを買っても面白さは保証付き。新刊本の洪水に溺れることなく、よい本を楽しみたいと思うなら、(わが社のように)内容をよく吟味した本を出す出版社の本の中からだけお選びになるとよろしいかと思います」。とにかくミルズ&ブーン社の本をお探しなさい、そうすればどれを読んでも同じくらい面白いですよ。そしてそれが気に入ったら、「これと同じような本を下さい」と貸本屋のカウンターで言って下さい・・・この広告文は、要するにそういうことを言っているわけです。 そしてこのミルズ&ブーン社のブランド戦略は見事成功し、同社の売り上げは急速に伸びて行った。1930年代、同社の平均的なプリントラン(初版の発行部数)は1タイトルにつき6000部から8000部。これは弱小出版社としては、なかなか景気のいい数字です。で、このうちの半分ほどは、貸本業各社がその規模に応じて300部、500部、700部単位で大口購入してくれるのですから、在庫や返本の心配もあまりしなくて済む。かくして、この調子で女性と貸本屋に気に入られるような本を出し続けた同社は、1934年には過去最高の収益を達成するまでに業績を上げて行きます。1920年代前半には青息吐息だった弱小出版社ミルズ&ブーン社は、こうして少しずつロマンス出版に強い中堅どころの出版社というあたりまで、その名を高めて行ったんですね。 ところで、小説内容の均質化といっても、それは小説の著者が係わらざるを得ないことであって、出版社の一存で決められるものでもありません。では、その辺の事情、つまりミルズ&ブーン社と同社から作品を出していた著者たちとの関係は一体どうなっていたのでしょうか。次回はその辺のことについて、お話ししましょう。それでは、今日はこの辺で。