資料提供
私の同僚で、英米の建築史を研究なさっているS先生という方がいらっしゃるのですが、その方は現在、長年の研究の副産物ともいうべき本をご執筆中です。 その本のテーマは、ずばり、「崩壊」。建築物が免れない運命である「壊れる」ということをテーマとして、古今東西の建物がいかに壊れてきたか、ということを書かれているんですね。で、私、この文章がとある建築専門誌に連載されていた時、毎月楽しみに読ませていただいていたのですが、これがまたとんでもなく興味深い話の連続で、もしまとめて出版されたら評判になること間違いなし。 ところが、その後、この文章が連載されていた雑誌そのものが「崩壊」、いや、廃刊になってしまった。そして現実世界では、凄まじい崩壊が・・・。そう、ニューヨークの同時多発テロですわ。まるでS先生の連載の書かれざる最終章が現実に起こってしまったような感じです。 そしてあれから数年。何となく宙ぶらりんになっていたこの連載が、さらに数章を書き足す形で、いよいよ本の形で世に問われることとなったという次第。私はS先生に「あの原稿は本になさらないのですか」とずっと慫慂してきただけに、いよいよ出版が近いということになって、何だか我がことのように嬉しいですなあ。 で、その嬉しい知らせを伺った時、私はすかさず、「最終章は、やっぱり『9.11』ですか?」とお尋ねすると、S先生、「いや、それは敢えてやめました」とおっしゃる。先生によれば、あの悲劇的な崩壊は、結局政治とか宗教とかの問題が引き起こしたことであって、自分がテーマにしている「建物の自然崩壊」とか「天災による崩壊」とは、若干意味が異なるから、とのこと。おお! さすがS先生! 超高層ビルの崩壊としては、建築史上初の出来事であるあの事件を取り上げることは、話題性から言えば面白いはずなのに、何千人もの方が亡くなった現代史上の悲劇を、そういう形で「面白く」取り上げようとはなさらなかったと・・・。うーん、恐れ入りました。「上品な学問」とは如何なるものか、勉強させていただきましたね。 ところで、これは私のちょっとした自慢なんですが、実はこれから出版されるこのS先生の本に、私も「資料提供」という形で少しだけ貢献しているんです。先生は「文学における建物の崩壊」という文脈の中で、アメリカ文学の傑作であるエドガー・アラン・ポーの「アッシャー家の崩壊」という短篇を取り上げられているんですが、この有名な短篇を象徴するような図版を探して、様々な文献を当たられたのだけれど、なかなかいい図版がない。そこで何かいい図版はありませんか、と尋ねられた私は、所蔵している本に当たってみて、これはというものを見つけ出し、先生にお示ししたところ、非常に喜ばれて、この本の中で使うことにされたというわけ。ま、古書マニアとして、この短篇作品の古いペーパーバック版を集めていたことが、意外なところでお役に立ったと言いましょうか。 しかし、自分の手持ちの資料が、他人の学問的研究のお役に立つ、というのは気分のいいもんですなぁ。少しは価値のあるものを集めていた、ということですからね。ま、そんな価値のあるものなら、自分の研究で使えって話ではあるのですが・・・。 そういえば、『パラサイト・イヴ』で有名な作家の瀬名秀明さんが書かれたロボット論アンソロジー『ロボット・オペラ』という大部の本にも、実は私は資料提供しているんです。これもまた、19世紀のアメリカで出されていたSFの古雑誌を少々研究していたことがお役に立った、ということなんですが、これも楽しい経験でした。 ま、それはともかく、S先生の「崩壊」の本、もうしばらくすると中央公論新社系の出版物として世に出るはずですので、まだ出る前から宣伝しておきましょう。この本、ものすごい名著ですから、(あらかじめ)教授のおすすめ! です。