シェイクスピアの呪詛
今年度絶好調のシェイクスピア講読。3年生諸君がよく勉強してくれるので、毎回楽しい授業ができていることは前にも報告しました。 ところで、今週の授業ではまた新たな展開が・・・。 この授業、『リチャード3世』の原書の輪読なんですが、逐語的な和訳をしていると到底読みきれないので、テキストの注釈や既存の翻訳を読み合わせながら、それでも理解できないところだけ質問してもらい、それに私が答える形で進めているんです。ですから、通常ですと「今読んだところで質問ある?」と私が問いかけ、もし学生側に質問があれば「○○行目から○○行目までの構文が分からないのですが・・・」などという風に応じるわけ。 ところが、この前の授業では、学生が突然面白いことを言い出したんです。曰く、「質問は特にないのですが、第1幕第3場284行目のセリフが気に入りました」。 ・・・え? 何ですって? 気に入った、ですと? そうなんです。気に入ったんですって。ある行が。 ちなみに、その学生(女子)が気に入ったというのは、王妃の座を追われたマーガレット元王妃が、自分、および自分の所属するランカスター家の者に害を与えた人々を呪いつつ、その中の一人に対して、「あなたは私の呪いの対象ではない」と言い渡すセリフでした。原文は「Thy garments are not spotted with our blood, /Nor thou within the compass of my curse.」というのですが。 で、彼女曰く、後半の「呪いの輪の中に入っていない」という表現が、とても視覚的でいい、というのですな。はあ、そうですか・・・。 しかし、どんなものであれ、シェイクスピア劇のセリフの中で気に入ったものが見つかったなんて、それ自体素晴らしい経験じゃないですか。いやー、シェイクスピアの輪読を始めて随分経ちますけど、学生からそんな嬉しい一言を聞かさるのなんて初めてですよ。良かった、良かった。 で、おかしかったのは、次に当てられた学生が、「ええと、僕が気に入ったのは・・・」などと言い出したこと。あのねー、別にこの授業、気に入ったセリフの発表会じゃないですから! それにしても、上に挙げたセリフもその一部ですけど、『リチャード3世』を読んでいて感心するのは、「呪詛」の場面の迫力です。まあ、すごいですよ。例えば、夫エドワードを殺されたアンの、リチャードに対する呪詛はこんな感じ:「ああ、呪われるがいい、こんな無残な傷口を残したその手こそ! この血を流した男に血の呪いを! これほど残忍なことをやってのけた心の持ち主が呪わしい! お命を奪い、私たちをみじめな目にあわせた忌わしい人でなし、あの男のうえに恐ろしい禍がふりかかればいい! 狼よりも-いいえ、いやらしい蜘蛛やひき蛙よりも、この地上を這いずり回るどんな毒虫よりも、もっと苦しい目にあうがいい! あの男に、もしも子供が出来たなら、その子は化物のように不様で、月たらずで、不気味な醜い姿形が、楽しみにしていた母親を一目で震えあがらせるのだ、そうしてあの父親の忌わしい根性を、そのまま受けつぐがいい! もしもあの男が妻をめとるなら、その女は、生涯、あれに連れ添うて苦しむがいい、この私が夫に死なれ、そしてお義父様を失って、みじめな思いに浸っているように、それよりも悲しい目にあわせてやる!」(第1幕第2場・福田恆存訳) あるいはまた、夫ヘンリー6世を殺されたマーガレットの呪詛はこんな感じ:「お待ち、この犬畜生、聴かずに行かせるものか。一人の私の想いも及ばぬ数々の堪えがたい禍いを、もし天がどこかに取っておいてくれるものなら、おお、願ってもない、お前の罪が熟し切るのを待って、その怒りの雨を一気に降らせてもらおう、お前の頭上に! この憐れな世界の平和を掻き乱す張本人! それまでは、良心の牙に魂を噛みさいなまれるがいい! 生きてあるかぎり、己の身方を裏切り者と疑いつづけ、胸に一物ある連中を無二の腹心と恃むのだ! その憎たらしい目、いかなる眠りにも閉じるなよ、おおさ、眠るがいい、そのときは、身の毛もよだつ地獄の鬼どもが現われて、悪夢にうなされるのだ! 悪魔の烙印を押された出来そこない、土ほじりの猪め! 生まれながらの下司野郎、地獄の小せがれ! お前を生んだ母親は恥辱で腹を痛め、父親もまるで腫物のように憎んでいたぞ! 貴族の名を穢すぼろ裂れめ!」(第1幕第3場・福田恆存訳) ふー。そのまま書き写すだに恐ろしい。 ま、これは劇中のセリフですから、これをもって「イギリス人の呪詛はすごい」などと言うことは出来ませんが、それにしてもシェイクスピア劇に現れる「呪詛の力」への信頼、とりわけ「言葉の力」への信頼というのはすごいと思います。言葉で罵って罵って罵り倒すというガッツ、これはやはり西洋人ならではのものなのではないかと。 日本人の怨念は、沈黙の怨念って感じがするもんなあ。そ~っと出て行って、「うらめしや~」の一言だけでしょ? ま、どっちがいいってもんでもないですけど、私なんぞ、いわばないものねだりで、そういう西洋的な言葉の力への信頼ってのには惹かれますね。 ということで、いつか私も喧嘩相手に「地獄の小せがれ、土ほじりの猪め!」などと言ってみたいなあと思う今日この頃なのでした。