今更ながら鬼平犯科帳
今、「三重テレビ」という地方テレビ局で、火曜夜7時から「鬼平犯科帳」(中村吉右衛門バージョン)の再放送をしているんですが、これが最近の私の密かな楽しみになっておりまして。 ま、この番組が昔、確かフジテレビで放送していた時も、まあ、ごくたまに見ていたこともありますが、それほどしっかり見ていたわけではないんです。しかし、何だかこのところ、この番組が妙に楽しみになっているという。どういう心境の変化なのやら、自分でもよく分かりませんが。 鬼平というと、私は大学時代の恩師を思い出します。私の恩師も池波正太郎の鬼平がお好きだった。で、私にも読め、読め、とおっしゃるもので、私も二、三原作を読むには読みましたが、先生がおっしゃるほどにはその世界に入り込めず・・・。というのも、池波正太郎独特の言葉づかい、たとえば盗みのことを「おつとめ」とか「はたらき」などというその言葉づかいが、史実に則っているのか、池波が勝手に作っているのか、その辺がよく分からず、そうなると肝心の「火付盗賊改方」なんていう組織が本当に存在したのか、というところまで疑われてきて、なんとなく作品全体が胡散臭いような気がしてしまいましてね。(後に、火付盗賊改方は実在した、と知りましたが。) でも、そういうことはともかくとして、今改めて中村吉右衛門バージョンの鬼平を見ますとね、なんだかとってもス・テ・キ。 結局、中村吉右衛門という俳優の力なのかなあ。大様で、清濁併せ呑むところがあり、情けをかけるべき時はかけ、しかし殺しを厭わない極悪人にはあくまで厳しく、部下の使い方、その手綱の引き方・緩め方が絶妙、愛妻家で、食通で、・・・と、まあそんな鬼平の人柄を、吉右衛門は見事に演じている。顔の造作という点から言えば、中村吉右衛門はさほどの美男とも思えませんが、しかし「男ぶり」という点から言いますと、これがまたまさに男が惚れる顔なんですよね。ということは、当然、ものの分かっている女性にももてるだろう顔、ということになるわけですが。 でまたこのテレビシリーズでは、毎回錚々たる俳優がゲストとして登場し、何らかの形で鬼平と対決するんですな。先週は米倉斉加年さん、今週は芦田伸介さんでしたけど、こういう力のある俳優が登場してくると、やっぱり画面が引き締まるというのか、筋書きも何も分かりきっているのに、ついつい目が離せない、という感じになってしまう。 そして、このテレビ・シリーズでは最後のテーマ音楽としてジプシー・キングスの「インスピレイション」というインストルメンタルがかかるでしょう? あれがまた、いいんだなあ。あれを採用した担当者、天才じゃないでしょうか。時代劇のテーマにジプシー・キングスを持ってくるって、どうやって思いついたんだろう? それにしても、どうして今頃になってワタクシはこの番組に夢中になっているのでございましょうや? なんか、毎年のように過酷になっていく仕事環境の中で、どこか、鬼平のようにものの分かったお人が支配している世界に逃避したい、という、そんな気持ちがあるのかしら・・・。 とにかく、今日もまた鬼平の男ぶりに惚れぼれしながら、あんなカッコイイ男になりたいものよのう、と思っているワタクシなのでありました、とさ。