書評会議で思ったこと
先週末の神戸大での学会、私は研究発表を聞きに行っただけでなく、学会の編集会議という奴にもオブザーバーとして出席してきたのですが、ここでちょっと考えさせられたことがありまして。 今回の編集会議では、過去1年間に学会の会員が出版した数十冊の本のうち、どれを学会として書評の対象にするかを決定したのですが、研究書として優れた本が書評の対象になっていくのは当然ですし、その一方で、研究書としてはあまり見るべきものがない本が書評の対象から外されるのもよく分る。 問題はですね、研究書じゃないもの、一般読者向けの本の扱いです。 今回の会議の中で、その手の本はほぼ一律で書評の対象から外されたんです。これは研究書ではないから、という理由で。 もちろんこの種の本には色々なレベルがありまして、教科書的なものあり、エッセイ風のものあり、はたまた啓蒙書あり。中には外されても仕方ないものもありました。しかし、中には内容的に結構面白そうなものもあったんです。が、そういうのも割とあっさり書評対象から外されてしまった。ま、約1冊、立派な研究書であり、かつ一般読者にも興味をもって読まれそうな本が書評の対象となった、という例外的事例はありましたが。 で、そういう審議を傍で聞いていて、うーん、そうか・・・と。 ここで私が内心、「うーん」と唸ってしまったのは、結局私が今書いている本も、いわば一般読者向けの本だからです。ということは、仮に私の本が出版されたとして、この会議にかけられた場合、「これは研究書じゃないから」という理由で、書評対象から外される可能性は高いな、と。 本ってのは、誰に向かって書くのか。少なくとも私は、一般読者に向かって書きます。学会員の数なんて最大限千人とか二千人ですからね。そんな限定された数の人に書いたって面白くないと思っているので。 しかし、今回書評の対象になったもののほとんどは、いわば専門家が専門家に向かって書いたようなものばかり。一般読者にとっては難し過ぎて読み切れないものばかりでした。 ま、学会誌の書評コーナーとしては、そういう本を書評するのが筋なのかもしれません。しかし、一般読者に向かって書いたような本について、ちょっと厳し過ぎないかなあと。なんか、学会と一般読者との距離を、自ら遠ざけているようなことにならないのかなあ、と。 ま、これに関しては異論もありましょうが、文学研究者ってのは文学を論じているのであって、文学と言うのはそもそも一般読者に向けて書かれているのだから、その一般読者に通じない言葉で文学研究者が何かを書いても意味がないんじゃないか、と私は思います。その辺、他の人たち、とりわけ書評会議に出席していらした方々はどう思っていらっしゃるのか、聞いてみたいような気がしますなあ。 今回の会議では、私はオブザーバーという立場だったので、敢えて発言は控えましたが、今自分自身が書いている本が、学会的には「色モノ扱い」になりそうだなあという漠然とした予感に、いささか気落ちせざるを得なかったのでありました、とさ。