森村泰昌著『芸術家Mのできるまで』を読む
森村泰昌ってご存知ですか? 自からゴッホやモナリザ、アインシュタインや三島由紀夫、マリリン・モンローやマドンナなどに扮した上で、セルフ・ポートレイトを撮ってしまう空前絶後のアーティスト。その森村さんの半生を記した自伝が『芸術家Mのできるまで』(筑摩書房・2,095円)を読了したので、ちょっと感想を。 森村さんのエッセイが面白い、という話をどこかで読んで、それでこの本を入手して読んだのですけど、そうですね、私が当初期待したような意味では、さほど面白い本でもなかった、といのが正直なところかな~。 じゃ、私がこの本に何を期待したかというと、もっとエクセントリックな、ぶっ飛んだ内容です。何しろ森村さんがやっていることって、ぶっ飛んでいるでしょう? セルフ・ポートレイトだって言ってるのに、他人に扮しているというのですから、もう何がセルフなのかよく分からない、というね。そんなヘンテコリンなアートをやっている人ですから、その書くものもすっごくユニークなんだろうと、まあそう思ったわけですよ。 ところが、そうではなかった。森村さんという人は、むしろ、すごく普通の人でした。 もちろん人並み外れて才能豊かな人であることは間違いないし、また例えばサラリーマンとして社会人になれるような感じの普通の人ではない(事実、彼は最初に就職した会社を三日で退職している)。だけど、その感性はとっても普通でまともです。つまり、真面目な人ですね。 だもので、私が当初期待したような意味では面白くなかったのですけど、最後まで読んでみると、その普通さゆえの、真面目さゆえの面白さというのが確かにある、と、私は確信を抱くに至りました。 つまり、結局、面白いんですよ、この本は。 大体、森村さんを世界のモリムラにした「他人に扮してのセルフ・ポートレイト」にしたって、ごく普通の感性のたまものです。 森村さんが初めて他人に扮したのはゴッホだったのですけど、その成り行きにしたって、別に深い思想の後にたどり着いたものではありません。自分の耳を切り落としてしまった後の、あの例のゴッホの有名な自画像、あれを見ているうちに、森村さんは「なんか顔立ちが自分に似ているな」と思った、と。出発点となる発想は、ただそれだけ。 で、そういうことって誰にもあると思うんですよね。例えば私の親友のTも、いつだったか、口髭を蓄えてみたら、自分が教科書に出てくる正岡子規の横顔にそっくりであることに気付いた、とか言ってケラケラ笑っていましたもん。自分の顔が、どうかすると有名人の誰かに似ていると思う、なんていうのは、だから誰にでも経験のあることだと思うんです。 だけど、森村さんはそこで笑って済ませるのではなく、もっと完全にゴッホの肖像そっくりになってみたらどうなんだろう、という風に一歩発想を進めたんでしょうな。そこで一生懸命メークをしてみたり、背景も同じようにしたりして、最終的には自分の顔でゴッホの肖像画を完全に再現してしまった、と。そして、それが後に森村さんを世界的なアーチストに押し上げることになる、一連のセルフ・ポートレイト・シリーズに発展していったんですな。 だから、発想自体は凡人と同じなんですよ。だけど森村さんは、その平凡な発想をとことん突き詰めることによって、別なレベルのものにしてしまった。そこが掛け値なしにスゴイ。 でも、多分森村さん的には、別にスゴイことをやろうと思っているのではなくて、単に、真面目に、淡々と工夫を凝らして、完全なる模写を目指してゴッホになりきろうとしただけだと思うんですよね。 そういう普通なスゴさ、それが森村さんを今日の森村さんにしていると、私はそう思います。 その他、この本の中で森村さんが言っていることは、ごく普通なことばかりです。例えば、森村さんが女優シリーズなんかを出して少しずつ有名になり始めた頃、日本の美術評論家は高く評価したものの、作品自体はあまり売れなかった。ところがこれをアメリカへ持っていくとバンバン売れる。でまたこれをフランスへ持っていくと、フランス政府が数千万円規模の金銭的な支援をするから、もっとどんどん作品を作れと言ってくれる、と。 で、ここから森村さんは、次のような結論を導きます。曰く、日本の経済不況は深刻だ、それに対してアメリカは好景気だ。フランスは国家が芸術を支援する姿勢を見せる分、芸術に関して底力がある、と。 うーん、何たる平凡な結論! 穿った見方なんてどこにもない。 しかし、森村さんは海外でそれだけ高く評価されるアートを実際に生み出しているからこそ、この平凡な、しかし真理をついた、腹の底にこたえる結論に至れるわけですよね。私はそこがスゴイと思うわけですよ。誰にでもできることでは絶対にない。だから、森村さんが語る数々の平凡なエピソードを読むことは十分に面白いわけ。 というわけで、森村泰昌さんの『芸術家Mのできるまで』、その平凡なスゴさを味わえるという点で、教授のおすすめ!です。特に、高校時代の恩師の思い出を書いた「チュンさんのいる校庭」の章は、なかなかいいですよ。これこれ! ↓芸術家Mのできるまで価格:2,200円(税込、送料別) しかもね、この本、装丁もなかなかデラックスでいいんだ。日本の本で、しかもこの価格で、よくここまで洒落た装丁にできたもんですわ。 ところで、この本を買ってから気づいたのですが、今、豊田市美術館で森村泰昌さんの展覧会が開催中なんですよね。これは何かの縁ですから、私も近いうち、ここを訪れ、森村さんの作品の実物を見てこようと思っております。名古屋周辺にお住まいの方、こちらの方もお忘れなく!豊田市美術館・森村泰昌展