尾崎士郎記念館
今日は教育実習の受け入れ先の学校に挨拶回りをしに、吉良の方まで出張してきました。 吉良というのは、かの忠臣蔵で悪役を演じた殿様の所領地でありまして、この地では「赤穂浪士」の「あ」の字も言ってはならんというほどの場所。とはいえ、今はもう、静かな田舎の町、という感じですけどね。 ところで、吉良と言えば、もう一人、ここを出身地とする有名人がいる。そう、『人生劇場』で名高い尾崎士郎ですな。 で、仕事の方が片付いたところで、せっかくここまで来たのだからと、その尾崎士郎の記念館まで足を延ばしてきた次第。 記念館と言っても、展示室がわずかに一室という程度のものですが、まあね、今、『人生劇場』と言ったって、読む人もいないでしょうし、そんなものかなと。 しかし、やはり展示を見れば、なるほどと思うこともあるのであって、それなりに収穫はありましたね。 例えば、尾崎士郎の生れた年が1898年だった、というのが、私にしてみれば、まずオドロキです。というのは、アメリカ文学的視点からすると、尾崎士郎というのは、ロスト・ジェネレーションの作家たちとほぼ同世代ということになるから。フィッツジェラルドとドス=パソスが1896年生れ、ヘミングウェイが1899年生れ、ですからね。でも両者を比べると、ロス・ジェネの連中の方がよほど若々しく感じられますからね。へえ、尾崎士郎って、結構若い作家だったんだ、って感じです。 それから彼が宇野千代と結婚してた、というのも、寡聞にして今回初めて知っちゃった。宇野千代なんて、最近まで生きてましたから、二人が同世代だとは気がつかなかった・・・。しかも若い時の尾崎士郎と宇野千代がまた、相当な美男美女だったんですよね。ロス・ジェネの連想から言えば、フィッツジェラルドとゼルダみたいなイケてるカップルだったのかしら。また尾崎士郎が「人たらし」というのか、交友の幅がものすごく広かったというのも、今回展示を見て知りました。 あとね、尾崎士郎が相撲好きで、なんと、初代の横綱審議委員の一人だった、というのも今回初めて知りました。 それから、相撲だけじゃなく、お酒も相当好きだったようで、昭和36年版の「文壇酒徒番付」なるものによると、尾崎士郎は堂々の東の張出横綱。ちなみにこの番付によると、東の正横綱は石川淳、西の正横綱は井伏鱒二とのこと。面白いところでは、吉田健一が東の正関脇、張出関脇が井上靖、西の正関脇は檀一雄、張出関脇が十返肇。池波正太郎なんて、ほんのひよっこ扱いで、東の十両ですよ。三島由紀夫は外遊修業中、海音寺潮五郎は病気休場ですって。 なんか、この時代の「文士」たちって、面白いな! 交流がありますよね。一緒に文士劇やったり、野球やったり、ゴルフやったり。今、そもそも「文壇」ってものがないですからね。なんか、つまらないな。 あ、それから、晩年の尾崎士郎は相撲ではなく、合気道の道場に通っていたそうで、これもまた柔術をやる私からすると面白い。 ってなわけで、小さな記念館ではありましたが、結構楽しみながら時間を過ごすことができたのでした。こういうのが出張の愉しみですな。本読むの面倒くさいから、DVDで観ちゃおうかな! ↓【楽天ブックスならいつでも送料無料】人生劇場 飛車角 [ 鶴田浩二 ]価格:2,629円(税込、送料込)