果てしのない本の話
岡本仁さんの『果てしのない本の話』を読みましたので心覚えを。 岡本さんというのは私より10才くらい上の人で、『クウネル』『リラックス』『ブルータス』などの雑誌の編集をやっていた人。だから、結局、アメリカ文化とか、自然志向のライフスタイルとか、そういうのに興味のある人なんでしょうな、もともと。 で、その人が様々な本についてエッセイを書いたと。 この本はもともと『HUGE』という雑誌に連載されていたものをまとめたそうですが、1回の連載に大体3冊くらいの本が言及される。で、次の連載には、前の連載で言及された本や、言及された著者の行動から、尻取り遊びのように連想された、つながりのある本の話が出てくる。つまり連載全体で言うと、互いに少しずつ関連した沢山の本が、数珠つなぎのように、延々と紹介されるわけで、それが『果てしのない本の話』というわけ。 で、そこで紹介される本は、と言いますと、やっぱりね、編集者の選択ですね。だから、一般読者の選択よりも2歩か3歩、先を歩いている感じがする。といって、4歩も5歩も先を歩いているわけではなく、そのジャンルに興味のある人からすれば、常識に類する本を紹介しているとも言える。 例えばリサ・アイズナーというフォト・ジャーナリストの『ロデオ・ガール』という写真集の話題からロデオつながりで片岡義男の『ロンサム・カウボーイ』に飛び、そういえばスパイク・ジョーンズがロデオに憧れる少年たちを撮ったドキュメンタリーがあったよな、という話になる。 で、片岡義男の本を再読していたら、リトル・フィートの「ウィリン」という曲が頭の中で鳴り始め、そこからアリゾナの大地が連想され、さらに猪熊弦一郎が『私の履歴書』という本の中で、アリゾナを旅した時の事を書いていたな、と思い出す。 猪熊弦一郎と言えば、アメリカインディアンの「カチナドール」のコレクションが思い出されるが、そういえば建築家・デザイナーのイームズ夫妻の家にもカチナドールのコレクションが置いてあったなと思い出し、話題は『イームズ・ハウス』という本に移る。 ・・・という具合に果てしなく本の話が続いて行くのですが、さて、リサ・アイズナーだのスパイク・ジョーンズだのリトル・フィートだのカチナドールだの片岡義男だの猪熊弦一郎だのの話が、それぞれのファンは別として今の一般の(若い)読者にどれだけ通じるかっていうことになると、私はいささか疑問です。それが通じるくらいだったら、私もアメリカ文化史の授業をして苦労なんかしませんよ。今、若い人はマリリン・モンローが誰か、マドンナが誰かすら知らないのですから。今の大学生に「オバマ大統領の前の大統領は誰?」と聞いて正確に答えられるのなんてごく少数。それが現実。 そういう意味で言いますと、この本、相当敷居が高いです。だけど、通じる人には通じるし、そういう人は、ここに挙げられている本の中で未読のものに出くわした途端、アマゾンのサイトに直行でしょう。実際、私も何冊か買っちゃった。 ・・・だけど、やっぱり全体としては、やや個人的な思い入れが強すぎ、一般読者へのサービス精神に欠けるところはあるかなあ。自分に興味のあることを言いっ放し、という意味で。もちろん、そういう本が書きたかったのだ、と岡本さんが言うのなら、そうですか、ってなもんですが。 ということで、面白くなくはなかったけれども、すごく感心したとは言いかねるので、「教授のおすすめ!」はなーしーよ。紹介だけにしておきましょうかね。【楽天ブックスならいつでも送料無料】果てしのない本の話 [ 岡本仁 ]価格:1,620円(税込、送料込) それにしても、何だろう、今、この手の本って、善きにつけ悪しき(?)につけ、「in」だよね。 今、若き古本ライターとか、若き古本屋の店主とか、極小出版社の若き社主とか、岡本さんみたいな編集者とか、そういう「本好きが書いた本」ってのがすごく沢山出版されていて、それなりに売れている。 昔は、小林秀雄だったり、吉本隆明だったり、あるいは平野謙だったり、江頭淳夫だったり、またちょっと前は蓮見重彦だったり、三浦雅士だったり、柄谷行人だったりっていう、要は文芸評論家と言われる人たちが本の話を書いたわけですけれども、今はそういうプロじゃなくて、先ほど挙げたような人たちが本の話を書いている。 つまり、色々な形で本に関係はしているけれども、内容についてのプロじゃない人が、本の話を書いている。いわば素人が書いているわけですけれども、といってその「軽さ」は、1980年代の「軽チャー」路線とは全然違う。あの頃の「軽チャー」って、今考えるとめちゃくちゃ重いからね。本来的には重いものを、軽く扱うようなふりをしただけですから。 それに比べると、今、巷に広がってる「本の話」は、内容は素人っぽくて、しかも真面目、なんだなあ。素人が素面で本を語るという。別に「だからダメだ」とか揶揄しているわけではなくて、しかし、そういう感じがする。 何だろう、この素面の素人って。その流行って。 岡本仁さんの本を読みながら、むしろそういう事を漠然と考えていたワタクシなのであります。