『習得への情熱』を読む
いよいよ本年も押し詰まって参りました。今日の私は相変わらず卒論の添削をしたり、毎年恒例、黒豆を煮るのを始めたり、あれこれ忙しくしていたのですが、忙中閑あり、前から読みたいと思っていたジョッシュ・ウェイツキンの『習得への情熱』を読み始めまして。 そしたらこれがまた、予想通りの面白さで。 ジョッシュ君はほんの5、6歳の頃、母親に連れられて散歩している途中、NYの公園で大人たちがチェスに興じているのを見かけるんですな。で、見ていると自分にも出来そうな気がする。 それでチェス好きの老人と一局対戦してみるのですが、最初のうち老人は新聞を読みながら遊び半分でプレイしていたものの、途中から本腰を入れなければならなくなってしまう。 結局、その対局は老人が勝つのですが、ジョッシュ君は最初からチェスの才能があったんですな。で、面白くなって幼いジョッシュ君は毎日ここへ通っては、チェスのストリート・ファイターたちとしのぎを削ることになる。その賭けチェス・プレイヤーたちは、結構ヤバい人たちばかりなのですが、幼いジョッシュ君が近くに居る時は、彼に敬意を払って、例えば麻薬の売買などはしなかったと。 で、そのうち天才少年現わるという噂が立ち始め、かつてボビー・フィッシャーの世界戦でテレビ解説を務めたこともある有名なチェスのコーチ、ブルース・バンドルフィーニがジョッシュ君のコーチになりたいと名乗り出るわけ。 かくして、一方ではブルースから正式にチェスのコーチを受け、また一方ではストリートのチェス・ファイターたちにもまれながら、ジョッシュ君はめきめきと頭角を現していくわけ。 で、この先、最初の世界戦の決勝戦で負けた話とか、次の世界戦で優勝した話とか、スリリングな話が続くのですが、この本のすごいところは、そういう勝った負けたの話で終らないところ。 ジョッシュ君は、もちろん天才なわけですが、世界は広いので、トップレベルのチェスの天才なんてのは何人もいる。ジョッシュ君とて、同年代の天才、それも同じようにコーチの指導の下、一日12時間とかいう猛練習をしている猛者たちと闘わなければならないわけ。 だけど、そういう天才の中でも成功する奴もいれば、落ちていく奴もいる。それは何故なのか。なぜ同じ天才でも開花する奴とそうならない奴が出て来るのか? ジョッシュ君は、そこを分析するわけ。 一つは性格もあって、チェスをプレイする中での混沌とした状況を楽しむ人(ジョッシュ君もその一人)と、勝利だけにこだわる人がいる。それで後者の場合、チェスの序盤で有利に立ち、勝つ時は圧勝するような勝ち方を必死に勉強してしまう(その方が簡単だから)。ところが、その序盤の攻撃が不発に終わり、中盤・終盤の混沌とした状況に入ると途端にまごついてしまう。そして結果として負けると、その敗戦によって致命的なダメージを受け、立ち直れなくなるケースが多いというのですな。だから、結果でなく過程を楽しむところがなくてはダメだと。 と言って、勝つことには意味があり、何かを達成する喜びを知らなければ大きなことは出来ない。だから、過程を楽しむことと達成したことを喜ぶこと、この二つのバランスをいかにとるか、ということが非常に重要であると。 そして、チェスの試合に負けると、本当に身も心もズタズタになるのだけれど、そこから学ぶタフさというのが必要で、ある程度は負けることに慣れておかないとダメ。ジョッシュ君は、子供チェス大会で常勝していた頃、敢えてシニア戦に出てそこそこ負けて、負けることにも慣れていたので、他の天才少年たちとは異なり、一度負けたからといって致命的なダメージは受けなかったと。 ちなみに大人のチェス大会では、相手の大人たちは、ジョッシュ君が幼くて体力がないことにつけ込み、不必要に長考を繰り返してジョッシュ君の体力を奪うというような姑息な手にも出るわけですが、ジョッシュ君はそういう卑怯な手からも何かを学ぶんですな。それに対抗するだけの体力を鍛えなければと。 で、ジョッシュ君曰く、自分はチェスの天才というよりは、何かを学ぶことの天才なのではないかと。 そして、後年、彼はチェスの傍ら、太極拳を学ぶようになり、学ぶ天才だけに太極拳の真髄も学んでしまって、太極拳でも世界チャンピオンになる。ま、そのへんはまだ読んでいないのですが。 というような話で、まだ最初の方しか読んでないのですが、圧倒的に素晴らしい本です。凡百の教育哲学なんか読むよりこれ一冊読んだ方が、教育って何だろう、学ぶって何だろう、ということを考えるヒントがもらえます。すごいよ。 ってなわけで、この本、教授の熱烈おすすめ!です。これ読まないで、どうすんの? って類いの本です。習得への情熱 ─チェスから武術へ─ [ ジョッシュ・ウェイツキン ]価格:3,240円(税込、送料込)