『みんな彗星を見ていた』を読む
冬休み中に読もうと思って、星野博美さんの『みんな彗星を見ていた』を読み始めたのですが、なにしろ冬休みが1週間しかないので、『習得への情熱』と合わせて2冊は読み切れなかった。でも、まだ半分も読んでないとはいえ、なかなか面白い本です。 題名からはなかなか内容が推測できませんが、信長の時代にローマ教皇に謁見した遣欧少年使節団の四人の足跡を、著者の星野さんが辿って行くという話。大まかに言えばそういうことなんですが、話は直線的には進まず、あちこちに飛ぶ。 何しろ、帰国した四人の少年が、ヨーロッパで習ってきた楽器を豊臣秀吉の前で演奏した、という故事から、彼等の演奏した楽器の一つ「リュート」に興味を抱き、それを実際に習い始めた、という話から始まるんですから、当分、前へは進まない。 しかし、そのリュートにしたところが、中東で生まれ、ヨーロッパで発達し、再度パキスタンあたりで普及、なんて歴史をたどっているうちに少しずつ形を変えていくから、伊東マンショたちが演奏したのがどんな形のリュートだったかもよく分からない。それに、「彼等が秀吉の前で演奏した」と記述をした人だって、宣教師であって音楽家ではないのだから、楽器の正確な名称なんて分かる筈も無く、一律に「ヴィオラ」とか記しているのだから、本当は何だったのかは謎のまま。 で、そういう分かっているようで分からないことをあれこれ思案しつつ、あちこち寄り道・回り道しながら遣欧使節団の足跡を辿るのですが、それはまた星野さんご自身の若い時の様々な体験(香港への留学とか)と織り交ぜられて、いわば星野さんが若い時に体験した様々なことを、今の時点で改めて理解する旅の記録にもなっているというね。 でまた、そういう個人的な興味/体験から覗き見るだけでも、例えばカトリック総本山である教皇の絶大な影響力とか、大航海時代のスペイン・ポルトガル間の政治的駆け引きとかをある程度窺い知ることは出来るし、またそれを現代に置き換えれば、大企業による世界シェア競争のありようなども理解できる。世界(史)を見る視点というのは、案外身近なところにあるものだなあ、ということがよく分かります。 その辺りが、この本をただの歴史ヲタク本にしていないところ、なんですな。 というわけで、某紙から書評を頼まれているこの本が面白い本だ、ということがとりあえず分かったので、良かったです。みんな彗星を見ていた [ 星野博美 ]価格:2,106円(税込、送料込) さてさて、冬休みも今日で終わり。これから名古屋へ戻る旅でございます。遣欧使節の少年たちの旅とは比べ物にならぬ程簡単な旅ですが、その先に辛いこと(=お仕事)が待っているという点では同じかも。ということで、明日からはまた名古屋からのお気楽日記。お楽しみに〜!