田中菊雄著『英語研究者のために』を読む
田中菊雄さんという方が書かれた『英語研究者のために』という本を読了しましたので、心覚えをつけておきましょう。 田中菊雄さんは、1893年生まれで1975年没の英語学者で、辞書編纂のお仕事でも有名な方なのですが、この人は学歴から言うと高等小学校しか出ていない。まあ、苦学の人なんですな。 だけど、だからといって不平不満を持っておられたわけではなく、どの道勉強というのはすべて苦学のことなんだと。自分も草木が水を欲しがるように勉強がしたいという一念でこれまでやってきた、ただそれだけのこと、という趣旨のことを自らおっしゃっておられるように、ごく自然に自分の内面の欲求にしたがって好きな学問をやり続けたわけですな。 で、最初は国文学の徒に、あるいは文筆家として立つ夢もあったようですが、その勉強の過程で英語に接するや、次第に英語の勉強が面白くなり、ついにその方向に舵を切ったと。 とはいえ、まずは生活第一ですから、旭川の高等小学校を出た後は小学校の代用教員となるんですな。しかし勉学への情熱抑えがたく、上京して国鉄に勤め、使い走り・お茶汲みのような仕事をしながら、正則英語学校などで必死に英語の勉強するうちに、周囲の人から認められるようになり、やがて呉の中学校の教員に。そこで試験を受けて正教員となり、さらに長岡の中学校の教員、富山高校の教員、山形高校の教員(もちろんすべて旧制)となり、ついに山形大学の教授となる。ある意味順調な、わらしべ長者のような出世でございます。 で、そういう風に出世していく過程での田中先生の英語修行たるや、これがまたものすごい。最初はアメリカの有名な『リーダー』を取り寄せて初歩から学び、すぐに聖書やバンヤンの『天路歴程』に食らいつき、『英語青年』をはじめ、当時日本で刊行されていた英学雑誌を取り寄せては、そこに寄稿されている日本の英学の大家の教えを、あたかも乾土が雨滴を吸い込むように吸収し、さらにシェイクスピアをはじめとする英文学の傑作の数々を徹底研究、そんな感じであらゆる機会を掴んで、寝る間も惜しんで英語の修行に勤しんだと。それはもう、まさしく英語と命がけで切り結ぶ、真剣勝負そのものなわけ。しかも、英語を勉強するのに英語だけやっていてもダメだと考え、フランス語・ドイツ語をはじめ、ギリシャ・ラテンの古典語に至るまで猛勉強。ありったけの辞書を取り寄せ、引きまくり、好みの辞書は夜寝る時も抱いて寝るといった調子。しかも、英語を教えることが自分の天職と心得た田中先生は、教壇で倒れてこそ本望とばかり、後進の指導にも情熱を燃やしたという。 田中先生に言わせれば、「独学」こそが真の学問、ということになるわけですけれども、確かに、独学の鬼ですな・・・。 で、自分自身がそういう独学をやってきただけに、この世には自分と同じように教育機会に恵まれない人は沢山いるだろうと。そういう人に対し、自分の経験が参考になるのではないかと考えた田中先生は、「英語の勉強は、こうやったらいいんじゃないの?」ということを披歴するために本を書かれた。それが本書『英語研究者のために』でございます。 ま、実は本書の執筆理由はそれだけじゃなくて、この本が出た当時、日本は太平洋戦争へと傾斜しており、英語は敵性語として排撃の対象になっていたわけね。で、そのことを憤慨した田中先生は、冗談じゃないと。英語を知らずして、英米人の何たるかなどわかるはずがないだろうと。そういう義憤に駆られて、この本を世に問うたんですな。 だけど、まあ、今日の日本は「英語など必要ない!」という風潮にはなく、むしろ「小学校から英語やれ!」の世界ですからね。田中先生の義憤の部分はもはや必要ではなく、純粋に「英語習得は、こうやれ」という部分が本書のキモということになる・・・ ・・・わけですが、そういう観点から見ると、本書の内容は、まさに、現代日本の英語教育の在り方に対する痛烈な攻撃でもある。 だって、例えば「英文読書法」「英文解釈と翻訳」「和文英訳と英作文」「英和・英英辞典めぐり」・・・などと題された本章の各章には、それぞれのテーマに応じて田中さんご推奨の勉強法と、勉強に際して必要な参考書物が紹介されているんですが、この指示通りに勉強し、この指示通りにこれらの書物を読破するには、一体どの位の労力と時間が必要なんだ・・・と、気が遠くなりますからね。 つまり、なめんなよと。英語習得、なめんなよと。そんな、週に1時間とか2時間とか、しかも文字は使わず、最初は歌とお遊戯とゲーム中心で英語に親しむなんてやり方で、英語が習得できるはずないだろう?と。 一日最低10時間、寸暇を惜しんで勉強しろ。辞書は引くのじゃなくて、読め。そして寝るときは抱いて寝ろ。その調子で10年ほど頑張れば、ちょっとはモノになる英語力はつくよ。もっともそれだけやったって、とてもとても、母国語のようにはいかないけどね――この本が言っていることは、そういうことです。 もちろん田中先生が直接そういう意地悪なことを言っているわけではありません。これは、私が勝手に解釈したこと。むしろ田中先生がおっしゃりたいのは、そうやって寝食忘れて勉強してもまだ勉強が足りないと思えるほど、英語学習(語学学習)は面白いし、そこから無限の喜びが得られるよ、少なくとも自分にとってはそうだ、ということ。もう、楽しくて楽しくて仕方がないんだと。 だから、この本、田中先生の英語に対する愛情が横溢していて、読んでいて至極気持ちがいい。好きで好きでたまらないことを、いつくしむように綴っている、そういう感じを終始受けるんです。 私もね、英語学ならぬアメリカ文学を講じて禄を食んでいるわけですけれども、田中先生のような純粋な喜びと情熱で教鞭を執っているかと言われると、いささか自信がなくなってくる。自分を顧みて、反省することしきりでございましたね。 とにかく、この本、それこそ無一物からスタートして英語学の権威となるまでの痛快極まりない一代記として、また「ああ、自分も田中先生みたいに頑張らなくちゃ」と思わせてくれる一種の自己啓発本として、楽しく読めること請け合い。教授のおすすめ!と言っておきましょう。【中古】 英語研究者のために 講談社学術文庫/田中菊雄【著】 【中古】afb ところで、この本が一種の自己啓発本であると言いましたけれども、そういう目で見ると、これまた私にはひどく面白いところがあります。 というのはね、この本の扉にエピグラフが2つ掲載されていて、一つはゲーテの「外国語を知らざるものは自国語をも知らざるなり」で、これはまさにこの本の趣旨を一言で言い表したものなんですが、もう一つが、エマソンの「英語は普天の下百川の朝する海」(English speech, the sea that receives tributaries from every region under heaven.)なんですわ。 「エマソンの引用のない自己啓発本はない」というのが釈迦楽理論なんですけど、この本もまた、というところがあるわけよ。 でね、それだけじゃなくて、本書によると、田中菊雄先生もまた若かりし頃、さんざん自己啓発本を読んだというのですな。じゃ、田中さんがどんな自己啓発本を読まれたかというと、まず新渡戸稲造の『修養』と『世渡りの道』ね。ちなみに『世渡りの道』には、おのれを捨てて事業のため、主君のため、あるいは義のために働いてこそ「惜しまれる人」となるのだ、ということが書いてあって、実に参考になったとある。でも、これってアレですよね、このブログでも先ごろご紹介した『ガルシアへの手紙』の趣旨とまるで同じですよね。 その他、増田義一の『青年と修養』や『東西名士発奮の動機』、福田琴月の『世界偉人伝』、蘆川忠雄の『人生の慰安』、高須梅渓の『偉人修養の経路』、煙山専太郎の『英雄豪傑論』、三宅雄二郎の『世の中』、加藤咄堂の『修養論』、遠藤隆吉の『読書法』、後藤新平の『処世訓』などが、青年期の田中菊雄先生を発奮させた原動力だったと。 やっぱり、独力独行の人、上を志す人には、自己啓発本が必要だったんだなと。 あ、あとね、この本には付録として、田中先生も参考にされたというジョン・ラボック卿の「良書百選」という、まあ推薦図書が載っているんですけど、この百冊を観ると、中にサミュエル・スマイルズの『Self-Help』がしっかり入っている。それに「スコットの小説」というのもあります。ウォルター・スコットの小説ってのは、基本的に自己啓発本ですからね。ま、ラボック卿は銀行家でもあるので、自己啓発本に対して親近感があるんだと思いますが、ワタクシ的にはなるほどな、と思いましたね。 それからもう一つ、本書で田中先生は、ご自身のことを「楽天家」と定義されており、楽天家であることを、ご自身の唯一の長所、というようなことを書かれていますけど、楽天家であることを薦めるあたりも、ちょっと自己啓発本の匂いがする。 というわけで、つまるところ本書は、自己啓発本を栄養にして英語を極めた一人の英語バカによる、英語学習的自己啓発本なんだと理解した次第。そういう意味でも、実に面白い読書でありました。