渡部昇一著『エマソン 運命を味方にする人生論』を読む
昨日、古本で買ってきた渡辺昇一さんの『エマソン 運命を味方にする人生論』という本をざっと読んでしまいましたので、心覚えをつけておきましょう。 この本、一応渡部昇一著となっていますが、あとがきを読むと口述筆記らしいですな。平成25年刊の本ですから、渡部さんにとって晩年の本になるわけですけど、この頃になると口述本も多かったのでしょうかね。ま、そうじゃなくちゃ、晩年に至ってあんな勢いで本なんか出せないでしょうけどね。 口述筆記本を一概にけなすわけではありませんが、まあ、そういうものである以上、さほどアカデミックな内容を期待できないのは仕方ありません。晩年の渡部昇一に果たして誰がアカデミックなものを期待したか、というのはアレですけれども。しかしそれはまた、エマソンなんてものは非アカデミックに語ってもいいんだ、っていうアレの一つの証左であるかもしれない。アレ、アレって、何がアレなのか分かりませんが。 で、本書の構成はと言いますと、最初にエマソンの生涯についてざっくり説明された後、渡部昇一さんがエマソンのエッセンスと信じる『自己信頼』という本から印象的なフレーズを35ほど選び出し、その一つ一つについてつれづれなるままに思いついたことをそこはかとなくしゃべりちらすという、そんな感じ。もっとも渡部さんによればエマソン自身が論理的な人ではなく、心に思いついたままに喋っていたそうなんですから、ひょっとするとこういう扱いこそがエマソンにはふさわしいのかも知れません。 一つ例を挙げるならば、「世間がこぞって反対の声をあげるときこそ、にこやかながら確固として、自分の内面から湧き出てくる印象に忠実であれ」というエマソンの言葉を発端として、「そういえば六十年安保の時に・・・」という渡部さんのつれづれなる思い出が語られる。あの時、世の趨勢は安保改正反対一色だったけれども、渡部さんは岸信介首相の安保改定案の方が良いと思ったと。そこで勤務先の上智大学内で安保改正賛成派の先生方を募り、「岸首相を励ます会」を組織して、応援の手紙を送った。「結局、安保は改定されて、その後、今日に至るまで五十年以上、あのときの枠組みの中で日米関係は続いています。それを見るにつけ、『ああ、あのとき発信してよかったな』と思うのです」(74-75ページ) はいはい。そうですかそうですか。 ま、大体こんな感じですよ。でまた、渡部さんの回想に登場する・・・ということは渡部さん好みの人たちってのが、岸信介、松下幸之助、渡辺和子、坂井三郎(ゼロ戦のパイロット)、マーガレット・サッチャー、本田宗一郎、中内功、竹村健一、外山滋比古、徳富蘇峰、大内蔵之介、白川静、伊藤仁斎・・・とか、そんな感じの人達で、いわば渡部ファミリーですな。で、こういう人たちのことをエライって言い切っちゃうところが、渡部さんの渡部さんたる所以。もちろん、偉いんですよ、この人たちは、それぞれ。だけど、なかなか素直にエライって言えないのが学者の衒いと言うものでありまして、それがないのが、すなわち渡部昇一であると。あるいは、通俗的なものを敢えて評価することで、アカデミズムにチャレンジするのが渡部昇一であると。 ということで、この本を読んで特に何か、アカデミックな意味で得るものがあったかと言いますと、それはアレなんですが(また「アレ」かよっ!)、前半の、エマソンの生涯を云々した部分で、色々再確認したところはありました。箇条書き風に記しておきますと・・・○戦後アメリカで流行った「ポップ・フィロソフィー」、その代表者がエマソンである。○ソクラテス、アウグスティヌスからデカルト、ルソーまで、哲学者とは哲学的に人生を生きる人の謂いであり、哲学とは即ち「生き様」であったのだが、カント以降、哲学は学問になり、大学内に封印されるものとなった。その意味で、エマソンはカント以前の哲学者タイプであり、それゆえアカデミックなフィールドでは「通俗的」として顧みられることがないが、「soul-searching」と「self-culture」を促す人生訓として今なお人気がある。ジョン・デューイがいみじくも言ったように、エマソンは「philosopher of democracy」であった。○エマソンは兄のウィリアムがドイツ・ゲッチンゲン大学に留学したこと、及び、ゲッチンゲン大学で学んだ師をもったことにより、聖書をテキストとして読む高等批評の態度を身に着けた。一方、ハーヴァード大学での神学の勉強の過程で、自分にはジョン・ロックやサミュエル・クラーク、デイビッド・ヒュームのような緻密な論理構成が得意でないことを自覚。次第にしきたりや論理ではなく、直観(ディヴァイン・リーズン)を重視する方向に移行していった。○エマソンが既存の教会とそりが合わなくなったのは、彼が教会の重要な行事である聖餐式をユダヤ人の慣習ととらえ、それを真似する必要はないと考えるようになったのが一つのきっかけであった。○エマソンは人間の能力を「悟性」と「理性」に分けて捉えていた。前者はunderstanding であり、感覚から入ってきた情報をもとに推論する能力であるのに対し、後者 (reason) は感覚を超越(トランセンド)するものであり、エマソンはむしろこちらを重視。そこから神と自分は繋がっているという発想を得る。○エマソンが、自分と世界がつながっているとの啓示を受けたのは、1832年から翌年にかけてのヨーロッパ旅行中、パリのジャルダン・デュ・パレロワイヤル成る植物園で、偶然サソリを見かけ、このサソリとも自分は繋がっているという直観を得た時。これはダーウィンの進化論に50年先立つ。○こうした「自分が宇宙とつながっている」という直観が、エマソンとスウェーデンベルグの絆であるに違いない。○エマソンは理神論者にして神秘主義的な傾向のある叔母メアリーの影響で読書家になるが、後には読書などしなくていいと言い出すなど、朝令暮改の傾向があった。首尾一貫することよりも、その時々に応じて自らの直観に従うことを重視したためか。 ○エマソンは晩年に向かうに従い、どんどん人気が上り、彼の家が焼けた時には、その再建費用は寄付により賄われ、再建されている間、ヨーロッパ旅行に行けたのも人々からの寄付による。また彼が帰国した時には、小学生の楽隊まで出て歓迎の祝賀行事が行われた。○エマソンの伝道の核心は、ある人の言うように「Be all that you can be.」であり、これがアメリカン・ドリームの基礎となった。エマソンがポップ・フィロソフィーの元祖と言われる所以がここにある。○オバマ大統領も、エマソンの信奉者であった。(確かに、「Yes, you can.」だからね。) ・・・とまあ、そんなところかな。いや、でもこういう情報&まとめは、たとえ大ざっぱなものであっても大いに役に立ちます。エマソンに対する自分なりの理解を再確認できますからね。 というわけで、この本、私にとっては役に立ったとも言え、そうでもなかったとも言えますが、エマソンの何たるか、晩年の渡部昇一の何たるかを知り、ついでにちょっと自己啓発も出来るという意味では、アレかも知れません。(また「アレ」か・・・)。一応、ご紹介はしておきましょうかね。エマソン運命を味方にする人生論 [ 渡部昇一 ]