『英語で言うとはこういうこと』読了
先日から少しずつ読んでいた片岡義男氏の『英語で言うとはこういうこと』を読み終わりました。ので、ちょっと心覚えをつけておきましょう。 これ、各ページの上端に一つ、日本語のちょっとした文が「課題」として掲げられ、そのページの一番下に、その課題の英語訳が書いてある。で、その上端の日本文と下端の英文にサンドイッチされるような形で、日本文が英文に変換されるまでにどのような思考を経たのか、その思考の道筋みたいなものが書いてあるわけ。で、各ページに1例、本全体で200例掲げられた和文英訳の思考過程を熟読すれば、「英語で言うとは、こういうことでしょ」というのが読者にも分かるはずだと。まあ、それがこの本のキモでございます。 で、レベルから言うとですね、中級から上級の感じですね。英語の文法だとか、英単語とか、ある程度よく分かっているのだけど、いざ英語でしゃべろうとするとなかなか口をついて英文が出てこない、というような人にうってつけっていう感じ。でもそのレベルの日本人って沢山居ると思うので、この本を面白いと思う人も沢山居ると思います。 じゃあ、私がどうやってこの本を読んでいたかと申しますと、各ページ冒頭に掲げられた日本文を、「自分だったらどういう風に英文に訳すかな?」と思い、まず最初に自分なりの英文をつくるわけ。で、その後で片岡さんの解説を読み、最後に「解答」を見て、最初に自分が考えた英文とどのくらい違うかをチェックし、もしかなり近かったら「わーい」と喜び、全然違ったとしたら、片岡さんの解説をもう一度じっくり読み直して、「英語で言うとは、こういうこと」というのを理解しようと務める・・・ま、そんな感じで読んで行ったわけ。 でもね、自分の考えた英文と解答の英文が全然違い、ぎゃふんと言わされることも多々ありまして。 例えば「列車を一度乗り換えて、あとはタクシーかバス。乗り継ぎがうまくいけば四時間ほど」という課題。電車を乗り換えるのだから「change trains」だろ、それから・・・なんて考えたわけですけど、片岡さんの「解答」を見たらビックリよ。 どんな解答だったかと言いますと、「Two trains, a taxi or a bus will get you there, about a four hour trip if the connections are good.」というの。「Two trains」というシンプルな名詞に「電車を乗り換える」という動詞的表現を担わせるなんて、思いつきもしませんでした。 あと、こんなのどう? 「彼は反論しなかった」という日本文。これを「英語らしい英語」にするとすると、どんな感じになると思います。片岡さんの「解答」は、こんな感じ:「He didn't have any argument about it.」なるほどね、って思うでしょ? で、この日本文→英文変換についての片岡さんの解説がまたいいのよ。以下、引用しましょう: 「反論」という便利な一語に該当するひとつの単語を、英語のなかに探そうとするのは、やめたほうがいい。英語の勉強として、それは方向が間違っている、と僕は思うからだ。仮になんとかひとつ見つかったとして、次は「しなかった」に該当する英語の言いかたを、探してしまうことになる。日本語から英語への、横滑り直訳の練習をするだけに終わる。 ではどのような方向が正しいのかというと、argue あるいはその名詞形である argument という言葉の使いかたを、数多く接する具体例のなかで、ひとつずつ知っていくことだろう。 argument には、意見の衝突、言い争い、論争、といった意味もある。without argument と言えば、異議なしという意味だと、辞書に出ている。この argument を使って文例のように言えば、彼からの反論はなかった、という意味の定型的な言いかたになる。(121ページ) ま、そうだよね。納得。 あと、こういうのもありましたよ。課題は「不幸があった」で、解答は「There was a death in the family.」だったんですが、その解説が素晴らしかった: 「不幸」と日本語では言い習わしているけれど、現実にあった出来事は、誰かひとりの人の死だ。だから英語では a death と言ってしまう。ひとつの死、つまり、ひとりの人の死、という意味だ。 誰それのところで、つまり誰それの家でひとりの人の死があったのだから、 There was a death in the family. と言えば、それは英語の言いかただ。 There is a book on the table. という文例が、中学校の英語の教科書にあったのを、いまでも僕は憶えている。ほとんど意味のないこういう文例よりも、彼のところに不幸があった、There was a death in the family. という文例のほうが、より強い実感をともなって記憶されるのではないか。 死、という意味の名詞に不定冠詞の a をつけると、この課題文で言うところの「不幸」を、言いあらわすことが出来る。(156ページ) 特に後半の部分、日本の英語教育界は片岡さんの御指摘を拳拳服膺すべきなんじゃないのかい? 片岡義男と言えば、私にとってはアメリカのカウンターカルチャーを軽やかに語った『10セントの意識革命』の著者だし、『ロンサム・カウボーイ』『スローなブギにしてくれ』といった数々の小説で片岡さんのことを覚えている人も多いことでしょう。私の師匠・大橋吉之輔先生は、日系三世として生れ、広島の原爆を目撃し、さらにハワイで育った片岡義男氏が、まだ「テディ片岡」と名乗っていた頃のことを覚えていて、結構高く評価していましたっけ。 とにかく、そういうバックグラウンドを持ち、日本語と英語を深く識った人から英語を習うのって、ちょっといいと思わない? 少なくとも、どこの馬の骨か判らないような、予備校の英語講師上がりといった著者の英語教則本読むより・・・なんて、ちょっと言い過ぎか。 ところで、この本の154ページ、「ふたりはまったく対照的」という課題に対し、「They are a vivid study in contrasts.」という解答が付けられていて、なるほど「study」という言葉を「典型」みたいな意味で使うんだな、と思った途端、その次のページに片岡さんが「study という言葉は、スタディしておくといい。なんとなく知っているのは、勉強という意味だけ、という状態の人が圧倒的に多いはずだ。(中略) 辞書を開き、名詞としての study の意味を初めから検討していくと、a という不定冠詞をつけて a study とすると、研究対象、研究の価値あるもの、見もの、といった意味があげてあるのに遭遇する。a vivid study in contrasts という使いかたは、study をこのような意味で用いた例だ。」と書いてあるのを読み、うーむ、やっぱり辞書というのは、しっかり読まなくちゃいかんなと思いまして。 で、これ以後、ちょっと気になる単語・・・それは難しい単語という意味ではなく、ごくごく簡単で日常的によく使われる単語、という意味ですが・・・に出くわす度に、学習用辞書でその言葉を引き、その解説と例文を全部読むようにしたんですわ。するとね、やっぱり勉強になるんだな、これが。 で、その際に使ったのは、『E-Gate英和辞典』ね。これ、こういう風にして読むとなると、すごくためになることが書いてあるのよ。あらためていい辞書だなと思いました。既に絶版ですが、古本で買っておいても損はありません。逆に、こういう風に使うとなると、電子辞書って、まるで使い物にならないね。【中古】 Eゲイト英和辞典 /田中茂範(編者),武田修一(編者),川出才紀(編者) 【中古】afb ま、そんな感じで、片岡さんのこの本を読んだおかげで、色々と勉強になりました。この本、既に絶版かも知れませんが、ネットではまだゲットできると思いますので、興味のある方は是非! 【中古】 英語で言うとはこういうこと 角川oneテーマ21/片岡義男(著者) 【中古】afb10セントの意識革命改版 [ 片岡義男 ]日本語と英語 その違いを楽しむ (NHK出版新書) [ 片岡義男 ]【新品】【本】英語で日本語を考える 単語篇 新装版 片岡義男/著