『賢い女の愚かな選択』を読む
コーネル・コーワンとメルヴィン・キンダーの共著になる『賢い女の愚かな選択』(原題:Smart Women / Foolish Choices, 1985) という本を読了しましたので、心覚えを付けておきましょう。 コレット・ダウリングの『シンデレラ・コンプレックス』(1981)とか、ロビン・ノーウッドの『愛しすぎる女たち』(1985)、あるいはペネロープ・ラシアノフの『Why Do I Think I Am Nothing Without a Man?』(1982)等々、異性とうまく付き合っていけず、幸福な結婚生活を送れない女性達の悩みを明らかにし、その状況への対処法を伝授する類の女性向け自己啓発本が、1980年代の前半くらいから1990年代初頭にかけてわーっと出るんですけれども、この本もそんな流れの中で読むべき一冊でございます。 だけど、本書には他の類書とは異なる決定的な特徴がありまして・・・何か分かります? そう! 著者が男性ということ! この種の本の著者が大抵女性である中にあって、本書はその点でまず大きく違う。この本は男性の視点、男性の立場から、男性選びに失敗ばかりしている世の悩める女性たちに「こういう風にすればいいよ~」と語りかけているのであって、その意味では画期的。ちなみに、コーワンとキンダーは、ロス・ハリウッドの近くにある「シーダーズ・サイナイ」という超有名な病院のセラピストで、ここに相談に来る女性たちに共通する「間違いだらけの男選び」に気付いたことから、この本を執筆しようと思い立ったとのこと。なるほど、って感じでしょ? で、本書の内容ですが、本書の冒頭近くで、1980年代ってのがどういう時代なのか、という一般的な世代論が語られます。 それによりますと、1950年代までは「男は男らしく、女は女らしく」という旧来型の男女観が当たり前のように横行していたので、良い悪いは別にして、女性は結婚して夫に頼っていればいいという状況があり、その意味では女性たちに悩みはなかったんですな。 ところが1960年代に入って、例のベティ・フリーダン大先生の『女らしさの神話』がどーんと出て、第二派フェミニズム運動が起こると、女性の自立が高らかに謳われるようになる。女性も男性と伍して社会でバリバリ働き始めたわけですな。同時に女性たちは、従来、いかに女性達が父権制社会の中で虐げられてきたかということに気付き始め、怒りの声を上げ始め、男性と同等の権利を主張し始めた。ここから男性対女性の、かなり辛辣な戦いの時代が始まるわけですよ。 で、この第二派フェミニズムが20年吹き荒れたら、1980年代半ばになっていたと。 で、さすがに20年もやっていると、どんな運動も飽きるものでありまして、今までみたいに男と女が互いに権利を主張しあってやいのやいの言い合うのにも疲れ果て、もういい加減、仲良くしようよ、昔みたいに、っていう感じになってくる。1980年代はその意味で、もう一度、「男女、愛和するの徳」に注目が集まるようになった時代だったわけですな。主婦たることを女の幸せと定義した1973年のマラベル・モーガンの『トータル・ウーマン』はその先駆け、1982年にはマーサ・スチュアートの『Martha Stewart Entertaining』が出て、良き家庭の演出者こそ主婦の務め的な風潮も出てくる。 ところが、第二派フェミニズムの流れの中で、高い教育を受け、社会に出て経済的にも自立した賢い女性たちが「よーし、この辺でいっちょいい男でもつかまえて、恋愛面・結婚面でもリア充しちゃおう!」って思って男と付き合ってみたら、これがどうも上手く行かない。ステキな男性を見つけたと思ったのも束の間、すぐにつまらなくなったり、付き合い始めたら碌な男じゃないことが判明したり。 あれ、おかしいな? 私にふさわしい『いい男』ってどこにもいないじゃん?! なんで? まさにこの「なんで?」というのが、1980年代のアメリカ女性たちの状況であると。 で、コーワン/キンダーによりますと、なぜこういう状況が生じているかというのは、割と簡単に説明できるというのですな。 つまりね、「なんで?」って思っている女性たちというのは、フリーダン以後の世代、すなわち第二派フェミニズムの洗礼を受けた後の世代なのですが、彼女たちを育てたお母さんの世代は、それ以前、すなわち旧弊な性差観のまま人生を生きてきた世代であると。だから、お母さんたちは、自分の世代の女性観でもって娘を育ててしまった。 だから、1980年代半ばに結婚適齢期を迎えていた女性達というのは、一方で母親から(と言うか、親世代の価値観から)「女は良き妻となり、自分の意志は押さえて、ひたすら夫に従順に従っているのが一番いいの」という考え方を吹き込まれ、それが無意識の中に定着しているわけ。しかし、他方では自分が育ってきた時代の風潮の中で「女だって男と同じように社会に出てバリバリ働いて、自立し、自己実現するのが理想」という考え方を身に付けてもいる。こうして彼女たちは、図らずも二つの相反する価値観を持っていて、そしてこの二つの価値観がしばしば互いに衝突するもんだから、それで訳が分からなくなって、結果として非常に愚かな男の選択をしてしまうと。まあ、これがコーワン/キンダーが考える現状説明であります。 だからね、女性が男性の選択に迷うようになったのは、1980年代の新しい現象なわけね。だからこそこの時代、先に挙げたような、「正しい男選び」のための本が次々に出版されたわけですが。 なるほどね。そうなのかもね。 でね、男の子の場合は、昔も今も、育て方の方針は変わっていなくて、「自分には何が出来るかを証明しろ」と言われ続ける。ところが女の子は、「自分には何が出来るか」ではなく、「自分には何が起こるか、期待しろ」と言われて育てられると。受動的な人間になるよう、小さい時から英才教育を受けちゃうわけ。で、これが後々、尾を引く。 例えば、バリバリのキャリア・ウーマンが、ある時ふと、「自分、こんだけ活躍しちゃったし、そろそろ結婚とかもしちゃおうかな」なんて思う(ちなみに、女性がこういう風に思うのには、生物学的な意味で、妊娠適齢期を意識せざるをえないから、ということもある)。 そしたら、これがまたうまい具合に、すごくステキな男性が現われるわけですよ。そしてその男性は、フェミニズムにも理解があって、キャリア・ウーマンとしてバリバリ働いて実績を挙げている彼女のことを応援してくれる。 そこで二人は恋に落ち、人も羨む結婚をすると。 しかし、結婚した途端、彼女の中で急激に仕事に対する意欲が失われるわけ。夫の収入は、二人で暮していくのに十分過ぎるほどだし、何も自分まで働かなくていいかなと。それに、今までバリバリ働いている中で、自分の本当にやりたいことを色々犠牲にしてきたのであって、余裕が生まれた今こそ、それを取り戻すいいチャンスかもしれない。とりあえず、仕事は辞めよう。そして絵画教室とかに通っちゃおうかしら・・・。 ほら! ここで彼女は「女の幸せは、夫に依存してのんびりやること」という、DNAに染みついた伝統的な価値観に引き戻されたわけですよ、無意識のうちに! ところが、そんなことをしているうちに、あーら不思議、彼女は最愛の夫から、いきなり「別れて欲しい」と言われてしまう。 何故なら、夫は、バリバリ働いているキャリア・ウーマンとしての彼女に惚れていたのであって、その惚れた女が結婚した途端、別人になったことに戸惑ったからでありまーす。しかも、彼女はあろうことか、自分に依存し始めただけでなく、彼女が前々からやりたかったことをやり始めたでしょ? そのことに夫は嫉妬したのでありまーす。何故なら、夫だって出来ることならば、働かないで自分のやりたいことをやりたいのよ、本当は。だけど、小さい時から「自分には何が出来るか、証明しろ」と言われて育ったので、本当にやりたいことは我慢して、社会の中で自分を証明し続けてきた。そういう状況なのに、結婚した妻だけが勝手に好きなことをやり始めたので、「ずるい!」という思いがこみ上げてきたわけですな。 ってな感じで、女性の側に二つの価値観が存在しているために、1980年代という時代、男女の関係はとっても複雑なものになってしまったと。 あとね、1960年代から70年代にかけて、女性たちが自分たちの権利を主張して、猛烈に怒っていた時代があったわけで、もちろんその怒りは正当なものも多く含まれていたわけだけれども、本質的に女性に対して母親的なやさしさを求めたがる男性陣としては、「怒る女」に対する恐怖を感じてもいて、一見、フェミニズム運動に賛同している風を装いながら、心の奥底では女性に対して恐怖心を抱いている男性も多い。このこともまた、1980年代に入って、パートナー探しが難しくなった原因の一つでもあるとコーワン/キンダーは指摘しております。 で、そういう中で、コーワン/キンダーは、結婚相手を探す女性たちの数々の誤りを個々の症例を挙げながら具体的に説明していくんですな。そして同時に、「男性というのは、こういうことを感じ、こういうふうに考えている生き物なのだから、こういう風にして接していくと彼の心を捉えられますよ」という感じで、男性の立場から、良いパートナーとしての男性の攻略法を伝授していく。もちろん、こういうタイプの男には近づかない方がいいですよ、というような警告も発しながら。 で、その辺の具体的な例示は一々示しませんけれども、最終的にコーワン/キンダーが女性達にアドバイスしているのは、ごく簡単なことでございます。つまりね、まず自分に対して正直に、自然体になれと。また男性に対して過度の期待をしてはいけないし、逆に過度の幻滅をしてもいけない。そして、「愛」と「スリル」を同一視してはいけない。愛というのは、相手を受け容れ、自分も相手に受け入れてもらうことから生じるものであるのに対し、スリルというのは、相手に受け入れられているかどうか分からないというところから来るのであって、その状態はワクワクするかもしれないけれども、愛ではないと。 あと、結婚相手にふさわしい男性というのは、たいていシャイで、見た目も悪かったりして、女性を一目で虜にするようなタイプではないことが多いけれど、そのシャイな仮面の下に、実に愛情深く、思いやりがあり、人間としてユニークな、いわばダイヤモンドの原石みたいな人であることが多い。だから、一回二回のデートですぐ判断しないで、仮面の下の本当の人間性を見い出すまで我慢して付き合ってごらんなさい、なんてアドバイスもあります。そんな風にしていけば、あなた方賢い女性は、必ずやあなたにふさわしい相手を見つけることができますよと。 ま、本書の内容ってのは、そんな感じ。 とにかく、1980年代という時代が、男女の関係という点でどういう時代だったか、ということを、かなり明確に示しているという点で、私にはなかなか面白く、ためになった本ではありますね。1985年の本ですから、今から33年前の本ではありますが、案外、今の日本においても当て嵌まるような症例というのが沢山紹介されていますから、現代日本の女性たちがこれを読んでも、「ああ、自分もまさにこの症例の女性と同じ愚を犯していた、だからいい男が捕まらないんだ・・・」的な気づきが促されるかも知れません。 その意味で、結婚を考えていて、身の廻りにいい男がいないなあ、なんて考えている世の女性たちには、一読をおすすめしておきましょうかね。【中古】 賢い女の愚かな選択 最良のパートナーを獲得する /コーネルコーワン,メルヴィンキンダー【著】,佐藤綾子【訳】 【中古】afb