イアン・ハミルトン著『サリンジャーをつかまえて』再読
イアン・ハミルトンが書いた『サリンジャーをつかまえて』(原題: In Search of J. D. Salinger, 1988) をそれこそ何十年ぶりかで再読しましたので、心覚えをつけておきましょう。 今からちょうど30年前に出版されたこの本、当時ですら既に四半世紀近くに亘って隠遁者となっていたサリンジャーの初の本格伝記ということで大いに話題になったものでした。その後サリンジャーについての伝記は何種類か出ましたが、どうせ伝記を読むなら出た順に読む方がいいだろうと思って、久方ぶりにこの本を手にとった次第。 著者のハミルトンは、基本イギリスの詩人なんですが、ロバート・ローウェルの伝記を書いて成功したことで味をしめ、伝記シリーズ第二段としてサリンジャーに目を付けたんですな。それは、もちろんこの「最も有名な未知の人」に対する興味ということもあったでしょうが、それ以上に、彼自身、若い頃にはサリンジャーの信奉者だったからということが大きかった。その辺りの事情についてハミルトン自身が綴っているところを引用しますと・・・: 私自身の信任状を提出しよう。『ライ麦畑でつかまえて』を読んだのは十七歳のときであるが、その後何ヵ月ものあいだ、ホールデン・コールフィールドを気取っていたのを覚えている。私はまるでお守りのように、どこへ行くのにも常にこの小説を携えていた。私がそれまで読んだどの本よりも、これは滑稽で、感動的で、人生を「正しく」観察しているように思われた。私は潜在的友人たち、特に女の子にこの小説を読むように勧め、それで彼らをテストした。この本が気に入らないというなら、これに心が動かされないなら、そんな奴は相手にしない。だが、気に入ったというなら、それだけですでに友情の基礎が築かれたように感じられた。ともに語りあえる友人がここにいるぞ、というわけである。私は長いあいだ、『ライ麦畑でつかまえて』を発見したのは自分だと思いこんでいた。私はダラム州ダーリントン市の古本屋で偶然これを見つけ、冒頭の文章に惹かれて買ったのである。(8頁) ひゃー!! もう、これ、私・釈迦楽の行動と全く同じじゃん。結局、サリンジャーにやられる人って、皆、一様に同じ行動をとるんだよね・・・。そういう行動を取らせる魅力が、サリンジャーの作品にはある、ということなのですが。 だけどハミルトンは、このプロジェクトを企画していた時には既にサリンジャーの呪縛から逃れ出ていたし、そもそも彼はそれほどナイーブな人ではないので、名うての隠遁者の伝記を書くとなれば、当のサリンジャーから相当な反対と妨害があるだろうと予期していたんですな。 だから彼は、通常の伝記のスタイルを取らなかった。そうではなく、日本人には「森鴎外の『渋江抽斎』方式」と言えば通じるようなスタイル、すなわち調査の結果だけではなく、調査の過程自体を書くスタイルを取るわけ。サリンジャーの過去を暴くに当たって、どういう方面に探りを入れたか、誰に手紙を書いて情報提供を呼びかけたか、それによってどういう情報が手に入り、どういう情報が得られなかったか・・・と、そういう調査過程も合わせて書いたんですな。だからこの本は、サリンジャーについて明らかになった諸事実が面白いだけでなく、いわば推理小説的な面白さも持っているわけ。 つまり、ハミルトンという人は、十分に外連味のある人なのよ。役者やのぅ、っていうね。だからこの本は下世話な意味で面白いんですけれども。 でも、とにかくハミルトンの取材によって、数多くの未公開書簡が掘り起こされ、それによってこれまで謎に包まれていた若き日のサリンジャーの姿が明らかになった、ということは確かで、その意味で本書には学術的価値も十分にある。 で、じゃあ、本書が描き出すサリンジャーの姿ってのはどうなのかというと・・・まあ、嫌なやーつーだよね。友達にはなれそうもないという意味で。っていうか、こいつ、そもそも友達一人もいないだろうなって感じがひしひしと伝わってくる。 で、その嫌な奴感は、この本の終りに一層、強まることになる。っていうのは、ハミルトンがこの本を出そうってなった時に、サリンジャー側が、私信を伝記の中に使ったことを根拠として本書の出版差し止めの訴訟を起こしたから。 で、その裁判は1審でハミルトン勝訴、2審でサリンジャー勝訴となり、最高裁が上訴を棄却したので、最終的にはサリンジャー勝訴が決定。かくしてハミルトンは2度の大幅な書き直しを余儀なくされ、今の形で出版されることになった次第。だから、もし最初の版が出ていたら、もっと面白いものになっていたのかもね。 ということで、とにもかくにも、本書はサリンジャーがどういう人物なのかということを、本の内側と外側の両方で指し示した、ということが出来るでしょうか。 ま、そういうことも含めて、面白い本であることは確かだし、後で述べるように、私も今回、本書を再読して幾つかの事実関係を再確認したところはあって、再読して良かったなと思うのですけれども、一つ言っておきたいのはですね、本書がサリンジャーの人となりを露わにしたとはいえ、それは我々、かつてのサリンジャー・ファンにはあまり影響を及ぼさないってことですな。 つまりね、我々はある意味、ストックホルム症候群なのよ。だから、他人がサリンジャーのことを悪く言えば言うほど、サリンジャーのことをかばいたくなるの。だから、いかなる伝記がサリンジャーの嫌な奴ぶりを明らかにしても、「へえ、そうなんだ。で?」って感じ。 そして、我々がサリンジャーから離れるのは、それは彼が嫌な奴であることが分かったから、じゃないんだな。まったく別の理由・・・っていうか、理由すらないのね。理由はないんだけど、「うー。もういいかな」っていう日が突然来る。 でもそれはサリンジャーが嫌いになったということではないので、「彼とは今でもいい関係なの」的な感じなんだなあ。多分、私以外のサリンジャー・ファンも、大体そんな感じじゃない? でも、とにかく、何十年も前に読んだ本ゆえ、忘れていたことも多々あって、読み返してみて面白かったです。【中古】 サリンジャ-をつかまえて /文藝春秋/イアン・ハミルトン / イアン・ハミルトン、海保真夫 / さて、ここからは業務連絡なんだけど、これから私が書く原稿の参考になる事実をピックアップしておくと、○1974年に出た海賊版短編集は2万5千部が出た。○「最後の休暇の最後の一日」の主人公グラッドウォーラーの軍隊番号はサリンジャーのものと同じ。○サリンジャーはローレンス・オリヴィエに会ったことがある。そして彼から「エズメに捧ぐ」の舞台化を打診された。その際、オリヴィエは主人公のX軍曹を演じるつもりであった。○サリンジャーは兄タイプに弱い。ヘイミッシュ・ハミルトンしかり、ウィリアム・ショーンしかり。○サリンジャーが宗教がかってくるのは1952年から。それ以前は、大人になりたくない子供に、そうならなくて済む道を示せなかったが、東洋的宗教に染まってから、それが出来るようになった。○1953年、アメリカで禅ブーム。○アメリカの学会でサリンジャー・ブームが起こるのは1956年から60年。ティーン・エイジャーの時代であり、学生が大学教師に、何が読みたいかをリクエストできる時代になっていた。○バディの説教癖をはじめ、サリンジャーの作品には、教師が弟子を教える物語が多い。○ハミルトン以前、1960年5月にメル・エルフィンが『ニューズウィーク』誌にコーニッシュ訪問記を書いている。エリア・カザンがサリンジャーに『ライ麦畑』の舞台化を提案し、サリンジャーが「ホールデンが嫌がると思いますから」と言って断ったという伝説は、この取材記に端を発している。カザン自身はそんなことは言ってないと証言。○その後、『タイム』と『ライフ』誌がアーネスト・ヘイヴマンをコーニッシュに派遣し、エルフィンと同様の成果(無成果)を挙げている。その他、『ピープル』誌や『パリス・レヴュー』誌まで、同様の記事を出したことがあるし、インチキ記事も沢山あった。 ま、大ざっぱに言うと、こんな感じかな。 さてさて、30年前はサリンジャーのまともな伝記って、これしかなかったんですけど、今はその他にも大部の奴が2つあるし、その他、伝記の傍証となるような本もあれこれあるので、今後はその辺りを読んでおきましょうかね。