『ライ麦畑でつかまえて』と『卒業』とサイモン&ガーファンクル
今日、お昼ご飯を用意していた家内が、鼻歌を歌いながら「サイモン&ガーファンクルのこの歌、何ていうタイトルだっけ?」と言い出しまして。 ま、結果、「Homeward Bound」だったのですが。 そんなこともあって、お昼ご飯はアップル・ミュージックでサイモン&ガーファンクルの曲をあれこれかけながらのものとなったのでした。 で、BGMとして聴くともなく聴いているうちに、サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』の読後感というか、読んでいる時の印象は、サイモン&ガーファンクルの歌の印象に近いのではないかと思い始めたんです。サイモン&ガーファンクルというと、あの有名なセントラルパーク・コンサートのことも頭にあって、いかにもNYの街の雰囲気があるじゃない? あと、サイモン&ガーファンクルと言えば、映画『卒業』のイメージが強烈にある。 『卒業』の主人公のベンジャミンは、一流大学を卒業しながら、そこから先の進路に迷って迷走中でしょ。で、彼の陥っている「出たはいいけど、行き先がない」という状況は、ある意味、ペンシー校を退学になったホールデンとおんなじだ。 で、その行先のなさ、落ち着き先のなさの揚句、ベンジャミンは様々な愚行(サリンジャー作品に対して向けられた「ドン・キホーテ風の身振り」と言い換えてもいい)を犯すわけだけれども、それは大人から見て愚行なだけで、同世代の人間からしたら真剣なアクションなわけですよ。ただ、じゃあその真剣なアクションが何か実を結ぶのかといったら、それは自信がないし、分からないとしか言えない。 それもさあ、『ライ麦畑』っぽくない? だから、『卒業』の背後に流れるサイモン&ガーファンクルの曲は、『ライ麦畑』にもそのまま当てはまる、みたいな・・・。 っていうか、「Homeward Bound」の歌詞そのものも、まるで『ライ麦畑でつかまえて』のためにあると言っても過言じゃないような気がしない? その場合、「homeward」というのは、NYにある実家のことのようでもあり、あるいはホールデンが夢想する「西部にある、誰も自分のことを知らない町」のようでもあり、あるいは子供たちが夢中で遊んでいるライ麦畑のことでもあるようであり・・・。"Homeward Bound" by Simon & GarfunkelI'm sittin' in the railway stationGot a ticket for my destination, mmmOn a tour of one night standsMy suitcase and guitar in handAnd every stop is neatly plannedFor a poet and a one-man band Homeward Bound, I wish I wasHomeward BoundHome, where my thought's escapingHome, where my music's playingHome, where my love lies waiting Silently for me Every day's an endless streamOf cigarettes and magazinesAnd each town looks the same to meThe movies and the factoriesAnd every stranger's face I seeReminds me that I long to be Homeward Bound, I wish I wasHomeward BoundHome, where my thought's escapingHome, where my music's playingHome, where my love lies waitingSilently for me Tonight I'll sing my songs againI'll play the game and pretend But all my words come back to meIn shades of mediocrityLike emptiness in harmonyI need someone to comfort me Homeward Bound, I wish I wasHomeward BoundHome, where my thought's escapingHome, where my music's playingHome, where my love lies waitingSilently for meSilently for me ま、そんなことを漠然と考えていた次第。