シェリー・E・テイラー著『それでも人は、楽天的な方がいい』を読む
シェリー・E・テイラーが書いた『それでも人は、楽天的な方がいい』(原題:Positive Illusions, 1989)という本を読了しましたので、心覚えをつけておきましょう。 本書は大まじめな心理学の本なのですが、基本的な問いは割とシンプルで、「『健康な心』とは何か?」というものなんですな。 で、従来の心理学の見方ですと、健康な心というのは、要するに、現実を正しく、客観的に、しっかり把握している心のことを言うのだろうと思われていたんですな。で、この考え方は、例えばエリック・エリクソンとかエイブラハム・マズロー、カール・メニンジャー、エーリッヒ・フロムあたりまで、自明の理として受け容れられてきた。 それはもう自明なわけですよ。実際には泳げないのに、「自分は泳ぎが得意だ」という認識を持っている人がいたとしたら、その人は水に飛び込んで溺れるわけですから。泳げないのだったら、「自分は泳げない」という現実をしっかり把握する――これが健全な精神であると。 ところが、どうもそうではないのではないかという発見があったと。 つまりね、「正常な人間の思考にはバイアスやイリュージョンがある」ということが分かってきた。もっと簡単に言えば、客観的な事実を越えて、人間は自分のことをよりポジティヴに認識していると。 ここ、重要なんだけど、バイアスがあるとか、イリュージョンを抱いているというのは、現実を間違って認識している、ということではないのね。そうじゃなくて、一様に、ポジティヴな方向に振れた見方をしているっていうこと。 子供に顕著なんだけど、大抵の健全な子供は、「自分はクラスの中でヒーローだ」と思っているんですな。他の子供より、自分が何らかの点で優れているし、そう認められていると思っている。実際にはそうでなくても、そう思っていると。あるいは、皆が皆、そう思っているんですな。 でまた健全な人間というのは、良いことが起こると、それは自分のせいであって、必然だと思うんですな。逆に悪いことが起こると、それは偶然だと思う傾向がある。 で、このことをさらに厳密に言うと、健全な人間というのは、起こる物事に対して、それをコントロールする能力が自分にはある、という幻想・イリュージョンを抱いている。それを抱いている人こそが、健全な心・健康な心の持ち主であると見なすことが出来る――これが、現在の心理学の「健康な心」観なのだと。 例を挙げれば、ギャンブラーがサイコロを振る時、念力を込めるわけですよ。「1出ろ」とか「3出ろ」とか。そんなことを念じながらサイコロを振る。現実には、サイコロの目というのは、偶然に左右されるのだから、そんなこと念じたって意味ないんですよ。だけど、健全な人間はそうは思わない。念力を込めれば、自分でその偶然性をコントロールできると信じている。それが健全な心だと。 面白いねえ! 確かに、そういうところありますよね! だけど、こういう健全なイリュージョンと、病的な楽観主義は全然異なります。 健全なイリュージョンの持ち主は、そういうイリュージョンを持っていたとしても、現実を知ればそれを受け容れます。つまり、ちゃんと現実を把握しているわけ。サイコロで「1出ろ!」って念じて、結果1が出なくても、「そういうもんだろ」とちゃんと現実を受け容れる。 ところが病的な楽観主義者は、そういう外的な状況を受け容れません。物事がうまく行っていないのに、うまく行っていると信じてしまう。だから、現実を見間違っているので、その結果、非常に大きなトラブルに巻き込まれることになる。 だから、健全なイリュージョンと、病的な楽観主義は全然違うわけ。前者は現実に対処できるけど、後者は出来ない。 どうしてそうなるかというと、健全なイリュージョンってのは、自分自身に直接かかわることだけに起こるから。自分自身については、ポリアンナも真っ青ってくらいに好意的に捉えているんですな。でも、その他のことはかなり正確に現実を客観的に把握している。だから、全然問題ないわけ。 で、こういうイリュージョンを持っていることをもって健全と見なすわけは、それを持っていると、人間というのは、自分自身に満足して幸福になれるし、他人のことを思いやれるし、生産的な仕事に生きがいを感じられるし、厳しい環境の中でも成長しようと努力する原動力になるから。これらのことは、この自分に対するイリュージョンによってもたらされているところが多いわけよ。 特に「自分のことを好意的に捉えられる人間のみ、他人を思いやることができる」っていう発想は、1970年代にさかんに言われた概念で、その筆頭はカール・ロジャースだと。で、ロジャースによれば、自分に価値があると思っていると、他人にも価値があると思いがちだというのですな。つまり、自分を肯定的に捉えるという心の動きは、自己中心的になるのではなく、その逆に、他人に対する思いやりを育てると。 面白いねえ! でまた、自分を高く評価している人間は、難しい問題にも積極的に、かつ長い時間、取り組むというのですな。そうすると、当然、成果も出るわけで、イリュージョンを持っている人は、持っていない人に比べて、社会的な成功者になる確率が高くなる。 また健全なイリュージョンを持っている人は、自分のコントロール能力に自信がありますから、自ずと自分をコントロールする(律する)傾向も強くなる。つまり、「こういう人間になりたい」という強い意志を持って、その意志を押し通す力があると。それは、人間的な成長につながるわけね。 しかも、バーニー・シーゲルやノーマン・カズンズの著書からも窺えるように、この種の好意的な自己認識、自己のコントロール能力への信念は、その人の健康をも高めるというのですな。精神的なものによって、体の健康って、相当左右されるもので。 ところで、自己のコントロール能力に自信がある健全な人間にとって脅威となるのは、「偶然不幸になった人」の存在です。なぜなら、誰もが偶然事故にあったり病気になったりするのであれば、自分の身にもそれが降りかからないとも限らない。それはつまり、そういうものは自分のコントロールの出来ない領域の出来事であるということになってしまって、それは自分の存在を根底から揺るがすようなショッキングな認識になってしまうから。 だから、偶然災難に遭った人が身近にいると、それに何らかの理由を付けようとする。 夜道で暴漢に襲われた隣人が居たとしたら、「そんな、夜、外をほっつき歩いているから、そういうことになるんだ」と考える。自分は自分の行動をきちんと律することが出来るから、自分は不幸な隣人のような目に遭うはずがない、と考えたくなるわけ。 でも、そんな健全なイリュージョン保持者ですら、偶然、不幸に遭うことはある。例えば、ガンになるとかね。 でもね、そんな時でもイリュージョンは発揮されます。 どう発揮されるかというと、「もっと悪いことが降りかかったかも知れないのに、この程度で済んだ自分はラッキーだ」と考えるわけ。 「ガンはガンでも、自分は初期の段階で見つけられた。ステージ4で見つかった誰かさんと比べれば、自分は超ラッキーだ」と考える。そうやって、「もっとひどい状態」を想定し、それと比べれば自分はなんて幸運なんだと考える。それが健全な心の動きであると。 だからね、健全な心の持ち主には、「最悪」という事態は、事実上、存在しないわけ。常に、それ以下が想定されるのだから。ステージ4のガンで余命いくばくもない、という最悪の事態になっても、本人にとっては、それは最悪ではないんですな。「自分はもう70年生きたからいい。隣りのベッドの娘さんは、若いのにステージ4なんだから自分よりもっと可哀想だ」とこうなるわけ。常に、もっとひどい状態があるのだから、最悪ということは存在しないわけ。 逆に、イリュージョンを失った状態が、要するに「鬱」なわけですな。 というわけで、あまり意識されていないけれども、実はこの自分についてのポジティヴな偏向が、いかに人間を幸福にしているか、それがないといかに人間は不幸になってしまうか、ということが言えるわけですよ。 ま、そんなことが本書には書いてあるわけでございます。 面白いね! そして、世界一鬱になりそうもない男、この不肖・釈迦楽がなぜ幸せなのかも、本書によって解き明かされた次第。私は天性のイリュージョニストだったんだ! というわけで、幸福心理学のこの本、ある意味、自己啓発思想のバックグラウンドを科学的に解き明かした本であると言えるのではないかと。教授のおすすめ!と言っておきましょう。それでも人は、楽天的な方がいい ポジティブ・マインドと自己説得の心理学 [ シェリー・E.テイラー ]