『Spectator』ホール・アース・カタログ特集(前篇)を読む
運転免許の更新時期だったのですが、噂によると東京では運転免許更新センターが閉鎖されたそうで、ことによると愛知県でもそうなるかも、と思い、急いで行ってきました。で、そうなると当然、免許用に写真を撮ることになるので、ボサボサの髪を切っておこうと思っていつもの床屋さんに行ったらすでに休業中! 仕方なく、髪ボサボサのまま免許更新した次第。平針の試験場も、なんか、ピリピリしてました。まあ、必然的に人が密集しますからねえ・・・。 それはともかく。 『Spectator』という雑誌が2013年に二度に亘って『ホール・アース・カタログ』を特集していたので、熟読しました。今日はその前篇の心覚えをつけておきましょう。とはいえ、雑誌記事ですので、私にとって価値ある情報を箇条書きでピックアップするだけに留めます。〇WECの影響下で日本で出たモノとしては、例えば読売新聞社の『Made in U.S.A. Catalog』(1975、編集は木滑良久と石川次郎)と『宝島』別冊の『全都市カタログ』(1976、編集は北山耕平)がある。前者は10万部、後者は7万部が出るなど、相当の反響。これが日本のその後のカタログ・ブームの先駆けとなる。当時、アメリカ建国200年ということで、アメリカ自体がブームでもあった。またこれらは『ぴあ』創刊や、『ポパイ』創刊(1976)にも影響を与えたらしい。『全都市カタログ』はWECの精神を、『ポパイ』などはカタログ文化を受け継いだ。〇『全都市カタログ』の北山は、69年、銀座イエナでWECを見て衝撃を受けた。〇『Next WEC』に「パソコン」という項目が初めて出る。〇WEC創刊号の地球の写真は1967年にアポロ4号が撮ったもの。〇WEC創刊号からの出版史が40-41頁に。〇ブランドの父は広告代理店のコピーライター、母親はアマチュア無線技士。二人はアマチュア無線界では有名。ブランドは四人兄弟の末っ子。〇スタンフォード大学では生物学を専攻したが、この頃の彼のヒーローは、スタインベックの友人のエド・リケッツ。その他、ウィーナーの『サイバネティックス』やハックスリーの『知覚の扉』にも影響を受ける。(アレン・ギンズバーグには49年、精神病院で知り合った)〇60年陸軍入隊、62年除隊、プロのカメラマンを目指す。出入りしていたインディアン居留地で後の妻と出会う。〇復学後、LSD研究者のマイロン・ストラトフが設立した国際高度研究財団とLSD実験に参加する契約を結ぶ(当時LSDは合法)。〇1965年、ケン・キージーが主催する「メリー・プランクスターズ」に参加。当時キージーらは64年夏から「マジック・バス・トリップ」でアメリカ横断を行っていた(これがビートルズの『マジカル・ミステリー・ツアー』に影響を与えた)。〇66年、ブランドはサンフランシスコで「トリップ・フェスティヴァル」を開催。このヒッピー・イベントで用いられた音と光の効果は「マルチメディア」のはしりともいわれる。〇トム・ウルフの『クール・クール・LSDアシッドテスト』冒頭にブランドが登場する。〇1966年10月、LSD非合法化。〇1967年、グレイトフル・デッドがデビュー。(ブランドが・後年立ち上げたコンピュータ・ネットワーク・サーヴィスのWELLには「グレイトフル・デッド」という項目が独立して立てられていた)。〇66年、バックミンスター・フラーの講演会(「地球を平らで無限な広がりとする考え、これがすべての誤りだ」)を聴き、影響を受ける。。〇スチュアート・ブランドが地球の写真をNASAに要求する運動を開始した際、缶バッジ(25セント)に記されたのは「Why haven't we seen a photograph of the whole Earth yet?」だった。〇68年3月、父の葬儀の帰り、Barbara Ward の『宇宙船地球号』を読みながら、飛行機から眼下の広がりを見ながら、コミューンに居る友人たちに役立つ何かができないかという発想を得る。彼には父の遺産があったので、事業を起こす余裕があった。〇フラーの言葉、「何かを思いついても、10分以内に実行に移さなければ、それは夢の世界に消え去ってしまう」はブランドの座右の銘。〇WECが作られた頃、全米には500ほどのコミューンがあり、コミューン人口は1万人ほどだった。〇WECテスト版(1968年7月刊、謄写版、120項目、6ページ)は1ドル。ひと月ほどニューメキシコとコロラドのコミューンを巡回して売って200ドルの売り上げ。これで自信を得たブランドは、64頁からなる最初のWECを創刊(68年10月)。編集はカリフォルニア州サニーヴェールにあったガレージ。編集はブランド、サンドラ・チェレプニンがタイプ打ち、ジョー・ボナーがレイアウト。〇WECの直接のモデルはL.L.Bean のカタログ。L.L.Bean創始者レオン・ビーンは前年に亡くなっていた。(さらに、ブランドの父親はカタログが好きだった)。〇1962年7月、レイチェル・カーソンが『ニューヨーカー』誌に「沈黙の春」を掲載。〇1967年、社会学者セオドア・ローザックが論文に「カウンター・カルチャー」という言葉を使用。〇1968年、イェール大学助教授チャールズ・ライクが『緑色革命』を出版。〇ブランドのWECはソローの『ウォールデン』と共に、若者の共感を得た。その中心メッセージは「サバイバル」。これは地球環境や人類存続、ベトナム戦争拡大への危機感から出てきたコミューン的発想。68年3月、ベトナム戦争での死者は13万人を突破、朝鮮戦争の死者を上回った。〇スチュアート・ブランドが地球の写真をNASAに要求する運動を開始した際、缶バッジ(25セント)に記されたのは「Why haven't we seen a photograph of the whole Earth yet?」だった。〇WEC創刊号の大項目は7つ。「システム全体の理解(冒頭にフラー『宇宙船地球号』の紹介)」「シェルターと土地の利用」「産業と手工芸」「コミュニケーション(イルカ関連のことなど)」「コミュニティ」「放浪」「学習」。1年に2冊ずつ(プラス、サプリメント)で発行された。〇WECの編集はタイプライター出力した版下の切り貼りというアナログなものだが、この方式は70年7月号まで続いた。〇発行元はメンロパークにあった非営利教育団体ポートラ・インスティテュート(財団理事ディック・レイモンド)。1960年代、「フリースクール運動」が盛んで、ポートラもその一環。ボランティアで教育機会を提供しており、ブランドも非公式会員だった。〇販売について、書店には断られ、唯一サンフランシスコの配本業者「ブック・ピープル」だけが扱ってくれた。仕方なくブランドは、1969年1月、『ホール・アース・トラック・ストア」という路面店をオープン。しかし開店パーティには招待状を送った関係者は一人も来なかった。〇郵便局は雑誌表紙に「カタログ」とあるため、定期刊行物と認めず、割高のレートを課した。〇しかし科学雑誌『サイエンティフィック・アメリカン』誌が取り上げ、ついでニコラス・フォン・ホフマンが書いた記事がアメリカ中の新聞に掲載されると、『タイム』『ライフ』『エスクワイア』誌などがブランドの活動を紹介し、一躍、有名に。〇あまりの人気にブック・ピープルだけでは配本できず、結局、大手ランダムハウスを通して販売が行われるようになり、全米規模での販売が始まると同時に、『〇〇カタログ』なるタイトルを掲げた類書が盛んに出版されるように。創刊3年目で販売部数は100万部突破。ブランドは時の人となり『タイム』誌の表紙を飾った。〇この成功で逆にブランドはノイローゼとなり、72年に『最終版(LWEC)』LWECを出すが、この号は150万部となり、最終版は全米図書賞を受賞。〇デスクトップ・パブリッシング、マクロビオティック・フード、フリー・エコノミー、パーソナル・コンピュータ、ネットワーキング、コミュニティ・デザイン、トランスパーソナル・サイコロジーなど、WECによって広まった概念は多い。〇1968年から始まったWECのプロジェクトは1998年にすべて終了し、今はそのすべての号がPDFとして公開されている。〇ブランドのWEC以後の活動についての記事あり。〇日本への影響、投稿雑誌『ポンプ』創刊のことなど。〇仲俣暁生によれば、WECとWELL に共通するのは、「個人のエンパワーメント」(93頁)。それはフェイスブックなどにもみられる思想。〇バックミンスター・フラーは1938年に「エコロジー」という言葉を使っている。(94頁)〇柏木博曰く、ブランドのWECもアップルのマッキントッシュも、ガレージ文化に基づくブリコラージュ(寄せ集め)である。〇エディットが重要。ブランドはエディターとして優秀だった。〇WECは1970年春号にオーガニックフードの記述あり。14冊の本の紹介の他、ゲイリー・スナイダーの推奨する非常食パックの紹介をしている。アリシア・ベイ・ローレルの『地球の上で暮らす』は1970年刊。このころからアメリカでは体にいい食べ物への意識が高まったと思しい。(ただしWECが紹介した本のすべてがベジタリアン志向ではない。)〇『The Vegetarian Epicure』(1972)、『Diet for a Small Planet』(Frances Moore Lappe, Ballantine Books, 1971)、『Hey Beatnik! This is the Farm Book』(1974)、『The Vegetarian Passion』(1975) 等々。〇ヤノフ『原初からの叫び』がジョン・レノンに影響。 ・・・ま、こんなところかな? とりあえず私に必要な情報を列挙しただけなので、興味のない方にはチンプンカンプンかもしれませんが、私としては結構、面白い情報が得られたかなと。なお、後日、後編のまとめもしておきたいと思います。この『Spectator』誌、最近ではヒッピー文化についての特集を組んでいたようですから、そちらも買ってみようかな。