ゲイリー・R・レナード著『神の使者』を読む
ゲイリー・R・レナードが書いた『神の使者』(原題:The Disappearance of the Universe, 2004)という本を読み終わりましたので、心覚えをつけておきましょう。 この本、純然たる「ACIM(A Course in Miracle)系」の本でありまして、1976年に出版された『奇跡のコース』に準拠した本ですね。これまでこのブログでもACIM系の本として、ジェラルド・ジャンポルスキーの『愛とは、怖れを手ばなすこと』とかマリアン・ウィリアムソンの『愛への帰還』を紹介してきましたけれども、ゲイリー・レナードの本書は、それらと比べてももっと密接に『奇跡のコース』に依拠している。 あ、ちなみに『奇跡のコース』ってのは、イエス・キリストがヘレン・シャックマンに直接口述したという新しい福音書のことね。イエス様がシャックマンのところに最初に現れたのは1965年なんだけど、この年はキリスト教の歴史の中ではすごく重要で、第二回ヴァチカン公会議(1962-5年)の結果、「現代世界の教会」という回勅を出し、それまで不可侵とされた聖書や教会を知的に研究することが認められるようになった。そのタイミングで、イエス・キリストが御自らシャックマンのところに出張してきた、っていうことなのね。で、その結果が76年に本として出版されるのだけど、時代的に言って、「ニューエイジ系神学」に分類されることになります。 でも、私が思うに、一言で「ニューエイジ系」とは言っても、『奇跡のコース』は、まあ、割とまともな方なんじゃないかと・・・。もっとも、私自身は肝心の『奇跡のコース』は未読なんですけどね。先に挙げたジャンポルスキーとかウィリアムソンの本なんかを読むと、まともだなあ、という気がする、という意味で。 じゃあなんで『奇跡のコース』の周辺の本ばかり読んで、直接『奇跡のコース』を読まないかというと・・・長いのよ『奇跡のコース』って。1000頁近くある。だもので、ついつい外堀を埋めることを先行させちゃうの。まあ、そのうち本丸に攻め込むので、ちょいお待ちを。 ところで、この『神の使者』ですが、この本、著者のレナードのところに、天界から二人の使者、アサンディッド・マスター(ascended master)のアーテンとパーサがやってくるところから始まります。1992年のクリスマスの頃の話。ちなみに二人は、2000年ほど前はそれぞれタダイとトマスという名で、イエス・キリストと一緒に行動していた弟子だったんですと。トマスの方は後に「トマスの福音書」を書き、それは1945年にエジプトで発見され、一躍有名になりました。まあ、それはともかく、イエスの直弟子が2000年の時を経て、しがないミュージシャンにしてしがない投資家であったレナードのところにやってきて、真の世界の仕組みを教えてやると。 はーい。この時点で常識ある読者は脱落するでしょうね。私には常識がないので、読み続けますが。 で、その後、9年間のうちに16回ほど、二人はレナードの元を訪れて講義をしたり、レナードの質問に答えたりしながら、レナードを鍛え上げていくと。なぜ、レナードが選ばれたのか、ということについては、最後の最後で理由が明かされるのですが。 で、アーテンとパーサによると、今世間で出回っている新約聖書ってのは、歴史の中で色々編纂されてきたもので、「J」の言行録としては全然ダメダメだと。あ、ちなみにアーテンとパーサはイエス・キリストのことを「J」と呼びます。「J」なんて呼ばれると、私はついイエス様じゃなくて旧友の川平慈英のことが頭に浮かびますが、いいんでしょうか? いいんです! その一方、1976年に出た『奇跡のコース』、あれは「J」が口述したものなので、是非、読むべきだと。ちなみに『奇跡のコース』はテキストだけじゃなくて、教師用マニュアルと練習用ワークブックの3点セットからなる自習システムなのね。 すごくない? 自習だよ! 神様に近づくための自習書。新聞の折り込みに入ってくる「ユーキャン」かっつーの。 だけど、ここを軽視しちゃダメなのね。つまり『奇跡のコース』のキモは、「人は、教会を通さずして神の世界に入れる」ということなのよ。 っていうことは、つまり、『奇跡のコース』は純然たるトランセンデンタリズムなのでありまーす! ここにはエマソン由来の超絶主義が息づいているわけですねえ。でまた、それはいわば教会制度に対する対決姿勢なのであって、要はカウンター・カルチャー。ヒッピー・ムーヴメントってのは、1960年代だけのもんじゃないんだなあ。アメリカの精神的土台にしっかり根付いているわけ。 ま、それはいいわ。 で、レナードのところにやってきたアーテンとパーサは、天国の仕組みを教えてくれるのですけれども、これがまたすごい。 それによると、本当のことを言うと、我々人間すなわち神の子たちは、神から分離したことなんか一度もないと。今もそうだし、昔からそう。真理ってのは一つしかなくて、それもたった二語で言い表せるのだけど、それは「God is.」ということ。あとは沈黙。だって、他に語るべきことがないから。神が存在する。以上。それ以外は何もない。 ところが、ここでアホな人間が、ふと、「もし・・・」って思ったんだねえ。もし、私が神の元から去って、勝手に暮らしたらどうなるかしら? と。それは子供が何の邪気もなく、「もし、マッチを擦って、カーテンに火をつけたらどうなるかしら?」と思うのと一緒。で、この小さな「もし」が、燃え広がって神様と人間の分離が起きました。 いや、実際にはそんなことは起きてないんだけど、「神様から分離した」という意識が芽生えたってこと。 で、カーテンに火をつけちゃった子供と同様、えらいことをしちまったよ!と焦った人間は、絶対神様から叱られる!と恐れたわけね。実際には分離していないんだから恐れる必要なんかなかったのに。 ま、とにかく、ここで人間は根拠なく神を恐れるようになりました。そして、人間は神様から逃げるために、隠れ蓑として宇宙を作りました。神様なんか知らないよ、口笛ぴゅー! 宇宙の端まで逃げちゃったもんね! というわけ。ともかく、これがいわゆるビッグバンですな。人間の科学で説明ができるゼロスタートの宇宙。 これが本当の真実。だから、宇宙を作ったのは神様じゃなくて、人間なのね。しかも、作った気になっているだけだから、本当は宇宙なんか存在はしないの。本当に存在しているのは神だけだし、我々人間も実はそこから一度も分離してないから。 とまあ、ここで『マトリックス』的な真実が明らかにされたわけであります。人間が今、見ている宇宙とか世界ってのは、実はすべて人間の夢です。我々は神様の御許で眠りこけ、夢を見ているだけなのであります。 だから、この世で起こるありとあらゆる災害にしても、人間同士の醜い争いにしても、これ、全部夢なのね。こういうのを「怒れる神が人間に与えた罰」とか解釈するのは間違いだし、神に許しを乞うのも見当違い。 神は赦さない。なぜなら一度も糾弾したことがないから。(236頁) ほら。これだよ。先に『奇跡のコース』はトランセンデンタリズムでカウンター・カルチャーだと言いましたが、アメリカ伝統のカルヴァン主義的ピューリタニズム、すなわち「怒れる神」の概念に対して、『奇跡のコース』は真向からカウンターを食らわせるのであります。 ま、とにかく、『奇跡のコース』によれば、この世ってのはすべて人間の夢だから、我々人間に課せられた使命は、「あ、これは夢なんだ」という風に認識し、いわば夢から覚めて、自分が本来いる場所、すなわち神と一体の状態に戻る、ということなんですねえ。実際、元々自分は神の一部であって、分離なんかしたことは一度もなかったんだ、ということに気づいた時の至福ってのは、言語を絶するらしいよ。その辺、「臨死体験」をした人たちが語る至福体験よりもはるかにすごい至福らしい。 じゃ、どうやって元の場所に戻るかっつー方法論になってくるわけですが、これはとてもシンプル。すなわち、「許す」ということ。これに尽きる。ありとあらゆることを許しまくる。 だけど、これはなかなか大変よ。 例えばバスを待って並んでいる時に割り込まれたと。その割り込んできた奴を許す。どう? 許せる? じゃこれはどう? 匿名であることをいいことにSNSで陰湿に批判する奴らを許す。息ができないって言っているのに乱暴に組み伏せて黒人市民を殺してしまう白人警官を許す。 あるいは、ハイジャックした飛行機突っ込ませて貿易センタービル倒壊させて何千人も殺したテロリストを許す。 どう? 許せる? でも『奇跡のコース』は許しなさい、と命ずる。何しろイエス様なんて、ご自身を殺した者たちを許したんだから。それをお手本として許しなさいと。 何故ならば、それは本当に起こっていることではなく、自分自身の心の投影に過ぎないから。全部、自分が見ている夢だから、責任があるとしたら自分にある。だから、これらのことをしでかした連中をすべて許すことで、自分を許す。そして、自分も、夢の中に出てきた他人も、すべて神の子であり、神から分離したことなど一度もないと改めて認識する。 ま、『奇跡のコース』が教えることはそういうことであり、それをアーテンとパーサはレナードに教えているわけね。 ただ、『奇跡のコース』は実際的だから、例の9.11のテロの直後、ゆかりのある人々を失い、人々が絶望の淵にある時に、「こんなの夢だから、悲しんでないでテロリストを許しなさい」などと吹聴して回れ、なんてことは言いません。その辺は、人々の気持ちを慮るんですな。ただ、それでもこれは夢だから、テロリストに報復しようなどと考えるな、とは言います。許せと。ことを起こしたテロリストだって、それ以前にアメリカから受けた仕打ちに対して報復しているのであって、もし彼らがアメリカを許していたら、そもそも9.11は起こらなかったわけだし。だからこそ双方が許しあうことが必要であると。許しあえば、こういうテロのような「(悪)夢」は見ないですむ。 とにかく、許すのは神の仕事ではなく、人間の仕事なのでありまーす。そして許すことによって自分を許し、それによって神の愛に気づく。これが『コース』のすべてと言っていい。 ってなことをアーテンとパーサから教えられて、最初は実践が難しいのだけど、繰り返し実践することでレナードも段々、許すことが上手になっていく。そしてそれと同時に、彼自身が高められていくんですな。 で、相当、いい感じになってきたときに、パーサがもう一つの真実を告げる。 それによると、レナードは、2000年前にイエスの直弟子であった聖トマスの生まれ変わりであると。 ん? パーサが聖トマスだったんじゃないの? そう、だから、レナードはパーサだったのでありまーす。パーサはレナードのところに現れた時、一応32歳の女性として現れるのだけど、ほら、人間ってのは元々神の一部だから、本来、性別とかないのね。だから、輪廻転生している最中、男性になる時もあれば女性になる時もある。 もっともここで言う輪廻転生っていう考え方も、いわゆる一般の輪廻転生の考え方とはちょっと違って、時間軸上に並んでいるのではないんですな。過去とか未来というのも、いわば人間の夢であって、神と一緒にいる世界、すなわち「心の世界」にはそもそも時間という概念がない。同時並行的なんですな。 だからパーサもアーテンも、そういう同時並行の輪廻の中で、何度か出会っていて、特に一番最後の時は、晩年を内縁関係で一緒に過ごしていたんですって。 ちなみにその時にはパーサは南アジア出身でアメリカに移住し、大学教授になっていた人だったんだけど、出来の悪い学生を落第させようとして、逆にセクハラで訴えられ、大学を追われるという悲惨な体験をしたとのこと。でも、その学生を許したらしいけどね。で、晩年、アーテンと(結婚はせずに)一緒に暮らしたんだけど、パーサの方が聖性が進んでいた(それはタダイとトマスだった時もそう)ため、パーサに先立たれた時はアーテンはかなりショックだったみたい。でも、アーテンもやがては聖性が進んで亡くなったとのこと。 何ソレ? ま、とにかくですよ。とにかく、そんなわけで、パーサは自分自身の生まれ変わりであるレナードを選んで『奇跡のコース』の課外授業を施し、彼を鍛えて本書『神の使者』を書かせ、多くの人に『奇跡のコース』の存在に気付かせる使命を託したと。 ・・・まあ、この本(500頁以上ある)が述べていることをかいつまんで言うと、上に述べてきたようなことになります。 どう? 上の概略を読まれて、皆さんはどう思われます? 私はねえ、割と好き。この世のすべては夢だ、という考え方が。 っていうか、日本人には案外、理解しやすいんじゃないの? 信長だって言っているじゃないの、「下天の内をくらぶれば、夢幻のごとくなり」って。人生、すべて夢なんだよ。 で、身の周りで起こる腹立たしいことはすべて自分の投影にすぎず、だからそれらを許して自分をも許せ、っていうね。その感覚が私には新鮮で、しかも好ましく思えるわけ。 私も修行が足りないから、腹立たしく思うことも多いわけ。だけど、それを全部自分で引き受けて許し、それによって自分も許すということが出来たらいいな、と、憧れるんだなあ・・・。 それに、こうしている間も実は私自身、神様のお膝元でクークー惰眠をむさぼっているんだと思うと楽しいじゃない? 楽しくなあい? ということで、「ACIM系」のこの本、『奇跡のコース』の何たるかを知るよすがとして、なかなか面白い本ではありました。興味のある方にはおすすめ! と言っておきましょう。これこれ! ↓新装版 神の使者【電子書籍】[ ゲイリー・R・レナード ]