シオドーラ・クローバー著『イシ』を読む
シオドーラ・クローバーという人が書いた『イシ:北米最後の野生インディアン』(原題:Ishi in Two World, A Biography of the Last Wild Indian in North America, 1961)という本を読みましたので、心覚えをつけておきましょう。 私が何でこの本を読んだかと申しますと、1960年代末のアメリカで一種のインディアン・ブームというか、「インディアンの生き方に学べ」的なブームがあって、それがカウンター・カルチャーの方向性の一つであった、というような文脈の中で、1961年に出版されたこの本(しかも、カウンター・カルチャーの震源地たるカリフォルニア大学の出版局から出ている)は、そうしたインディアン・ブームの発端なのではないか、というアイディアが私にあるからでございます。 で、読んでみたのですけど、これがね、いい本だったのよ、実に。アメリカでも出版直後はもとより、その後も長くロングセラーとなり、ペーパーバック化もされ、今でもカリフォルニアの高校とかではこの本が推薦図書になっていたりするのだとか。でも、確かにその価値はあるなと。 じゃあ、どういう本かと言いますと、『イシ:北米最後の野生インディアン』というタイトル通りの内容でありまして、1911年に、「イシ」と名付けられた北米史上最後の野生の(同じ人間に対して「野生の」と言うのは倫理的にどうなのかとは思いますが)インディアンが発見されたっていう話なんですな。 もちろん、1911年当時も今も、アメリカにはインディアン、すなわちネイティヴ・アメリカンは存在しています。しかし彼らはその時点で既に居留地に移動させられ、アメリカ政府の保護下にあるインディアンであって、本物の(=野生の)インディアンではなかった。そういうインディアンはもう絶滅したと思われていた。 ところが1911年に、20世紀の文明とは隔絶して生きてきた野生のインディアン「イシ」が発見されたんですな。だから、当時、全米が驚愕したのも無理はないでしょう。 まあ、感覚としては、横井庄一さんとか小野田寛郎さんとかが戦後何十年も経て見つかった時に日本中が驚いた、あれのもっとすごい奴だと思えばいいのではないでしょうか。横井さんとか小野田さんの場合は、まだ昭和を知っている人が昭和のうちに戻ってきた、というレベルですけど、イシの場合は、石器時代の人間が20世紀に見つかった、という話なんですから。 で、そのイシなんですけど、彼は北カリフォルニアの山岳インディアン「ヤナ族」の中でも南の方に住んでいた「ヤヒ族」の一員なんですな。例えばコマンチ族とかシャイアン族のような平原インディアンは、後からやってきた白人とすぐに領土争いになりますから、割と早いうちに絶滅させられてしまうのですが、ヤナ族のような山岳インディアンは、白人が入り込まないような山の中に住んでいたので、19世紀後半までなんとかひっそりと存在できた。 ところが19世紀後半になると、平地からさらに山の方まで進出してきた白人とぶつかることも多くなってきて、その都度、生活の場を追われ、さらに山の上の方へと追いやられていくんですな。でも、あまり上の方では動物もいないし、川で鮭を取ることもできず、仕方なく多少は白人の土地に侵入せざるを得なくなってくる。で、そこで白人に殺されたり、ヤナ族の方でも多少は報復に出たりして、武力衝突があり、結局、ヤナ族は絶滅させられるわけね。本書の前半は、悲惨なインディアン撲滅史になっていて、そこは慎重かつ冷静に言葉を選んで記述されているとはいえ、その内容はインディアン・サイドからしたら想像に絶する悲惨なものであって、吐き気を催すような種類のホロコースト事情が綴られております。ラテン・カトリック時代の対インディアン政策と、アングロサクソン時代のインディアン政策は大分異なっていて、やっぱりアングロサクソンってのは、異人種に対して過酷なんだよね・・・。 で、最後の生き残りとして、イシを含む5人のインディアンが残るのですが、それも一人、また一人と死んでいき、最後はイシ一人になってしまった。で、一人になった後もイシは自分の痕跡を完璧に消しながら、山の中で暮らしていたのですが、飢えに苦しみ、孤独に苦しみ、ついに1911年8月29日、死を覚悟して山を下り、白人の住む町のとある畜殺場で番犬に追われていたところを、保安官に逮捕されたと。 で、この保安官の判断が良かったのよ。彼は自分が捕まえたのが野生のインディアンであることを見て取って、すぐに郡の刑務所に入れ、上の指示を仰いだんです。刑務所に入れたのは、彼を保護するため。20世紀に入っていたとはいえ、インディアンなんて人間とも思われていなかったので、盗みを働こうとしたインディアンとしてその場で撃ち殺そうとする奴がいないとも限らなかったからなんですな。 で、とにかく「まだ野生のインディアンが生きていた」というニュースは全米を駆け巡ります。で、それを読んだカリフォルニア大学の人類学者、ウォーターマンとクローバーの両教授は、こんな学術的に貴重なチャンスは二度とないとばかり、急いでこのインディアンの保護を名乗り出ます。で、政府の許可をとって、サンフランシスコに彼を連れてきて、カリフォルニア大学の出来たばかりの博物館に彼を住まわせつつ、研究の対象にするんですな。 当時、インディアンの言語についての言語学的分析はある程度進んでいたのですが、ヤナ族(ヤヒ族)の言語は、まだ全然知られていなかった。ということで、ウォーターマンとクローバー、それに言語学者のエドワード・サピアが色々な手段を使ってこの野生インディアンと意思疎通しながら、白人側はヤナ族の言葉を、またインディアンの方は英語を学んでいき、両者ともに理解を深めていくことになると。 そこで、当然、何はともあれこのインディアンの名前を尋ねるわけですが、結局、最後の最後まで彼は自分の本当の名前を名乗らないのね。インディアンの世界では、名前を知られるということは、被支配者になることを意味するようで、絶対に名乗らない。だから、仕方なく、ヤナ語で「人間」を意味する「イシ」が、彼の当座の(結局は最後まで)彼の名前になるんですな。 だけど、イシにとって非常に幸運だったのは、ウォーターマンにせよ、クローバーにせよ、カリフォルニア大学の研究者たちは、イシのことを人間として、敬意を払いつつ接したんですな。だから、彼らとイシの間には友情が芽生え、イシもまた彼らを友人として認め、またイシが晩年を過ごすことになった博物館のことを自分の「家」として受け入れた。 で、博物館に勤める様々な人々、たとえば調理人とか清掃夫とかガードマンとか、もイシのことを一個の人間として、同僚として、当たり前のように接したんですな。博物館の隣にあるカリフォルニア大学医学部付属病院の医師であるポープ博士など、たまたまイシが弓を射るところを見て魅了され、イシから弓術の稽古をつけてもらうことで、友情を育んだ人まで出る始末。 そして、イシにも博物館内の仕事が与えられたので、彼は国から正規の給料を与えられ、自活していた。決して、貴重な動物として飼われていたわけではないんです。そこが良かった。自立しているということは、誇り高いインディアンとして、非常に重要な価値観ですから。 で、そういう風に石器時代から20世紀のアメリカにやって来たイシは、少しずつ新しい生活に馴染んでいくのですが、その中で人々はイシという人の人間的な魅力に惹かれていくわけ。知らない人に対しても微笑みを絶やさぬ彼の穏やかな性格、親切さ、優しさ、礼儀正しさ、忍耐強さ、清潔好きかつ整頓好きなところ。そして知的好奇心。勤勉さ。正義感。白人のそれとは異なると言えども、まっとうな宇宙観・宗教観・道徳観。そしてやはり白人のそれとは異なるけれども、同じように有効な医学的知識やその他生活全般の知識。人のモノを取るなどということはイシには全く考えもつかないことであり、かつ、人に自分のものを分け与えることには実に寛容であるという点。もうね、本当に素敵なジェントルマンなのよ、イシは。 で、そうやって彼に係わる人々すべての幸福を与えたイシなんですけれども、彼が文明社会に来てから5年ほど経った1916年3月25日に、彼は肺炎で亡くなるんです。まだ60歳くらいだったはずですが、インディアンには白人社会の病気に対する免疫がなかったんですな。イシが亡くなった直後、博物館の人々は、イシの穏やかな「Everybody Hoppy?」(みんな元気かい?)という片言の英語のあいさつが聴けなくなって、全員がもう悄然としてしまったといいます。 生前、イシは「Good bye」という英語が嫌いで、礼儀上、どうしても言わなければならない時しか言わず、言ったとしても心がこもっていなかったそうです。「別れる」という概念が、インディアンには受け入れがたかったのでしょう。その代わりに「あなたは居なさい、ぼくは行く」という言葉遣いを好んでしていたそうですが、病気が重くなっても何一つ不平を言わず、自分を看病してくれた人たちに感謝しながら、おそらくは「あなたは居なさい、ぼくは行く」という心づもりで亡くなったそうです。 イシの死後の話もなかなか感動的で、通常、身寄りのない人が亡くなると、その財産は州のものになってしまうのが決まりなんですけど、イシが生前にためた銀貨(イシは銀貨が好きで、いつも給料は銀貨で受け取っていた)のうち、半分はカリフォルニア大学の学術振興のために寄付されることになったのだそうです。 とまあ、これがイシの物語なのですが、1916年に亡くなった後、イシの伝記を書こうという試みが1950年代になるまでなされなかったのは、イシのことを最初から最後まで面倒を見たクローバー教授が、なかなかその気になれなかったからなんだそうです。イシのことを書くとなると、彼がなぜ一人ぼっちにならなければならなかったか、つまり、白人によるインディアン撲滅史を書かなければならず、そのことが、イシの親友であったクローバー教授にはどうしてもできなかったから。そこで、その試みは、クローバー教授の奥さんであるシオドーラ・クローバー女史が引き受けることになり、ようやく1961年に出版されることになったと。 で、私としては非常に驚いたのですが、この『イシ』を著したシオドーラ・クローバー女史、そしてその夫でイシの親友でもあったアルフレッド・ルイス・クローバー教授は、作家のアーシュラ・K・ル=グインのお父さん・お母さんなんですな。 だから、日本語版(岩波現代文庫版)にはル=グインの序文がついているんですけど、この序文がまたとんでもなく素晴らしいんですわ。これほど素晴らしい、これほど気品のある、これほど本書の価値を言い尽くした序文って読んだことがない、と思うほど素晴らしい序文なの。この序文を読むためだけでも、この本を買う価値はあるよ。まさに身震いするような見事な序文。 ということで、仕事がらみで読んだ本ではありますが、本当に読んでよかったと思える本でした。教授の熱烈おすすめ!です。これこれ! ↓【中古】 イシ 北米最後の野生インディアン / シオドーラ クローバー, 行方 昭夫 / 岩波書店 [単行本]【メール便送料無料】【あす楽対応】