ヘレン・ケラー著『私の宗教』を読む
かのヘレン・ケラーが書いた『私の宗教』(原題:My Religion, 1927)を読了しましたので、心覚えをつけておきましょう。 これ、ヘレン・ケラーが47歳の時に書いた本なんですけど、どうなんですかね、今時の若い人ってヘレン・ケラーのこと、知っているんですかね? 私なんぞの若い頃は、奇跡の人・サリヴァン先生の導きによって「盲・聾・啞」の三重苦を克服した人ということで、とにかくとんでもなく偉い人なんだ、というイメージを叩き込まれた反面、そっちのイメージが強すぎて、実際にどんな人だったかよく知らない、っていう感じでしたけどね・・・。 でも、あらためてこの本を読んで、ちょっと興味が出て、色々ググったら、ヘレン・ケラーって「優生学支持者」なのね。超・意外。障害者には安楽死を、とか主張した人なんですって。マジか・・・。植松某みたいなこと言っているじゃん。かなり幻滅~! 第一、その主張って、自分自身に跳ね返ってこないのか?? ヘレン・ケラーは生まれつきの障害者ではないから、自分はいい、ってことなのか・・・。 まあ、それはともかく、この本ですよ。これは、実は、スウェーデンの見神者、エマニュエル・スウェーデンボルグを徹底的に讃える本でありまして。そう、ヘレン・ケラーは、熱心なスウェーデンボルグ主義者だったのでありまーす。 ま、幼い時から、その素養はあったんですな。例えば、子供の頃、ヘレン・ケラーは、羽化したばかりの蝶に「見とれ」ながら、心がふわ~っと飛んで行って、アテネの街を30分ばかりさまよったと。で、我に返ったヘレンは、サリヴァン先生に「私、今、アテネに行ってたの」と言ったとか、言わなかったとか。つまり、魂は肉体の制約を受けないという体験を、小さい時からしていたと。 一方、彼女は、聖書の熱心な読者ではあったものの、そこに描かれた「裁く神」のイメージには辟易していた。神様ともあろうお人が、「お前ら、みんな地獄に落とすぞ!」とか言ってやたらに脅すばかりで、ちっとも人の幸福に貢献していないじゃん、と。あと、当時のアメリカで一般的だった「三位一体」の神学、すなわち「父なる神」「子なるイエス・キリスト」「聖霊」を等しく崇めるべき、という考え方にも馴染めなかった。なに、その三分割?ってわけで。 そんな時、彼女はサリヴァン先生と同じく、彼女の人生に多大な貢献をしたジョン・ヒッツなるおじいちゃんに出会います。この人は、アレクサンダー・グラハム・ベルが開設した「ヴォルタ局」で聾啞者のための活動をしていた人ですが、孫みたいな年頃のヘレンをとーっても可愛がって、何くれとなく世話をしてくれたんですな。で、このおじいちゃんが、ヘレンの旺盛な知識欲を癒すべく、これ読んだらいいんじゃないの、ってことで、スウェーデンボルグの著作の点字本を差し入れてくれたと。 ちなみにこのジョン・ヒッツさん、旅の途中のヘレン・ケラーと駅で落ち合って、束の間の再会を楽しんだ後、ハグして別れようとしたら、その途端に死んじゃったんですって。善意の塊みたいな人だったようですが。ヘレン・ケラーもビックリしたでしょうなあ・・・。 ま、とにかく、そんな感じで、恩義のあるとっても素敵なおじいちゃまがその存在を教えてくれたスウェーデンボルグの本を読み始めたヘレン・ケラーは、どはまりしたと。 なんたってスウェーデンボルグは、従来の神学者とは桁が違う。なにせ18世紀当時として最先端の科学者であったのに、天界に自由に行き来することが出来るようになり、晩年の四半世紀は、彼自身が実際に見た天界の様子や天使の様子、天界に住んでいる人々のことなどを証言しつつ、新しい神学を興した人であるわけだから。 それまでにも預言者ってのは沢山いたし、近い所ではオリバー・ロッジ卿のように、霊媒の助けを借りて、死んだ息子レイモンドの天界での様子知り、それを世に伝えようとした人はいるけれども、スウェーデンボルグはもう、四半世紀もの間、自由に天界に出入りして、自分の目で直接見たこと、聞いたことを我々に告げているんだから、従来の預言者・霊媒とはまるで比べ物にならない。ヘレン・ケラーは、そういう風に見たわけね。で、そんなウルトラ級の超絶すごい人が、「天界の仕組みってのは、こういうものだ」って言っているんだから、それを信じて従うしかないだろう、というのが、ヘレン・ケラーの本書における主張なわけ。 なるほど。 で、ここで「ヘレン・ケラー、アホじゃん?!」って言うのは簡単です。だけど、そう簡単に、そうと決めつけられないところがある。 これは、本書のまえがきで鎌田東二さんという人も指摘しているんですけど(ちなみに、この人の書いたこのまえがき・「視力を越えた視力」という一文は、とてもいいです)、スウェーデンボルグとヘレン・ケラーには、非常に重要な共通点がある。 考えても御覧なさい、ヘレン・ケラーは2歳で視力・聴力を失い、完全なる暗黒の世界にいたわけですよ。ただ食って寝るだけの、動物的な生。否、動物でももっと生き生きしているはずですから、それ以下ですな。それが、サリヴァン先生の超人的な努力により、「水」を表現する言葉がある、ということを幼いヘレン・ケラーは気づくわけ。そしてその小さな突破口から、ヘレン・ケラーの暗黒世界に光が灯され、彼女は言葉なるものの存在を知り、思考することを知り、それを表現することを知る。ついにそこに世界が現れたわけ。 そういう経験をしている人からしたら、スウェーデンボルグの経験は、実にリアルなものと映ったでありましょう。スウェーデンボルグもまた、長くこの世の暗黒の中に居て、ある時、天界を見ることとなり、その突破口から、天界というものがあるんだ~、ということを知り、そこからあれよあれよと新しい世界が広がったわけだから。スウェーデンボルグもまた、ヘレン・ケラーと同じように、ある時、天界に目覚めたわけですよ。 ヘレン・ケラーは本書の中で、こう言っております。「眼が見えず、耳が聞こえない者にとって、霊の世界を想像するのは難しいことではありません。大多数の人々にとって霊的な事象が漠然としていて、遠いものであるのと同じように、障害をもつ私の感覚にとっては、自然界のほとんどすべての事象が漠然としていて遠いのです。(190)」 確かに、それはそうだろうなと思うわけですよ。だからヘレン・ケラーには、スウェーデンボルグが天界のことを身近なものにしていったプロセスを、自分自身が自然界を理解した体験から推して、理解することができた。ここだよね、この本のポイントは。 で、そのスウェーデンボルグが見た「新しいエルサレム」というのは、従来の聖書が教える「裁く神」の世界とは全然違っていた。スウェーデンボルグは、自身が目にした天界の仕組みから聖書を読み直し、その新しい「読み方」を発見した。で、そのスウェーデンボルグ流の読み方で聖書を読めば、あーら不思議、最初から聖書には、ちゃんと天界のことが書いてあったじゃなーい! で、もちろん、それによれば「三位一体」なんてウソ、ウソ。神様は一人しかいませんでした。イエス・キリストはその神様が降臨しただけだから、「父なる神と子なるイエス」なんて二分割はありません。 それに神は善そのものであって、天界に悪なんてものはない。どんな悪人でも、天使たちがコーチングしてくれて、少しでも善の方に向かうよう、トレーニングしてくれるから心配なし! 天界では、誰もが人の役に立つようなことをしながら暮らしているんだけど、考えてみれば、わざわざ死んで天界に行くまで待つ必要はない。この世においてだってそれと同じことをして悪いことはない。この世を、天界までの準備段階と考えれば、この世にいるうちに、天界におけると同じように、善意をもって善をなし、人の役に立つよう頑張ればいい。この世のすべての人間がそれをやったら、それこそが、新しいエルサレムの降臨よ! 天国は、この地上にある! ちなみに、この「人の役に立つ」ということが、天界及び地上の新エルサレムのキーワードなもので、それでヘレン・ケラーは「どうあがいても人の役に立たない人たち」、すなわち障害を持った人たちを安楽死させるべき、と考えていたんでしょうな。 とにかく、ヘレン・ケラーが幼い時から抱いていた聖書への疑問、聖書が描く神様像への疑問は、スウェーデンボルグの主張の中で、すべて氷解したのでした。だから、彼女がスウェーデンボルグに夢中になるのも、当然なのよ。ポジティヴじゃなきゃ三重苦を乗り越えることなんかできないわけで、そういうポジティヴ体質なヘレン・ケラーからすれば、聖書を、天界を、ポジティヴに捉え直したスウェーデンボルグは、とんでもないヒーローに見えたことでありましょうから。 しかし、もちろんヘレン・ケラーは賢い人なので、ただアホみたいにスウェーデンボルグを持ち上げているわけではない。伊達にラドクリフ(女性版ハーバード大学)を卒業しているわけじゃないのね。 スウェーデンボルグを批判する人達のことも、彼女は重々承知している。一方、彼女と同じく、スウェーデンボルグに魅せられ、彼を高く評価する人達の言説も重々承知している(本書第三章は、エマソンやヘンリー・ジェイムズをはじめとするスウェーデンボルグ派の人達の言説集と言ってもいい)。つまり、ヘレン・ケラーは、スウェーデンボルグの本を熟読しているのみならず、古今東西の神学書・哲学書なんかを読み漁って、スウェーデンボルグをめぐる賛否両論を知っているわけ。 しかも、それ、全部、点字で読むわけだから! 勉強家だよね~。 で、そういう風に賛否両論を知った上で、やっぱり自分としてはスウェーデンボルグは偉大だと言うほかない、と主張しているんですな。 とまあ、そんな感じで、本書は「スウェーデンボルグ推し」一点張りのヘレン・ケラーの、ファン心理満載の本だったのでした。 だけど、スウェーデンボルグって、知る人ぞ知るというか、ある意味、眉唾の人じゃん? 天界に自由に出入りできたとか言われても、信じる人もいれば、信じない人もいる。だから、ヘレン・ケラー好きの人達の間でも、この本のことは割と無視されているというか、「なかったことにしておこう」的な扱いを受けているようです。 だけど、読んで見ると、逆にこの本を読まないと、ヘレン・ケラーという人は理解できないんじゃないかな。そんな気がします。 ということで、スウェーデンボルグのことを考える上でも、またヘレン・ケラーを理解する上でも、この本は必読だと私は思います。興味のある方は是非。これこれ! ↓私の宗教 ヘレン・ケラー、スウェーデンボルグを語る 《決定版》 [ ヘレン・ケラー ]