アーサー・ヤノフ著『原書からの叫び』を読む
アーサー・ヤノフの書いた『原初からの叫び』(原題:The Primal Scream, 1970)を読了しましたので、心覚えをつけておきましょう。 ヤノフっていうと、よく言われるのは、かのジョン・レノンが彼の患者だったという話。実際そうだったようで、レノンはヤノフの原初療法を体験しているらしい。レノンの「Mother」という曲を聞き、かつ、ヤノフの『原初からの叫び』を読むと、レノンがこの曲の中で歌っていることの意味が明確に分かります。 では、そもそも原初療法とは何か。 ヤノフは原初療法の創始者ではありますが、彼がこの療法を思いついたのは、偶然です。 ヤノフは、元々フロイト的な透察療法を行う心理学者だったんですな。ところがある時、若い男性の診療をしていて、面白いことが起こった。 その若い男性は、ロンドンで変わった舞台を見ていたんですな。その舞台では、ある役者がおしめを身につけ、哺乳瓶からミルクを飲みながら、「お父さん! お母さん!」と叫びまわり、観客にも同じことをさせようとしていた。まあ、前衛的な舞台だったのでしょう。 で、その話をする若い男性の様子に、何かを感じとったヤノフは、彼に「お母さん! お父さん!」と叫んでみてくれと頼んでみた。で、最初は嫌がっていたのですが、不承不承、「お母さん! お父さん!」と絶叫し始めたら、もう止まらなくなってしまって、ほとんど気絶するほど絶叫したと。で、その断末魔のような絶叫の直後、その若い男性は、「やった! 感じることができるようになった!」と有頂天になったと。それまで彼は、自分の感情というものをしっかり把握することが出来ず、悩んでいたのですけれども、それが一気に治ってしまったと。 で、その時の彼の異様な叫び声の印象がまだ去らないうちに、ヤノフはまた別な患者相手に、まったく同じような体験をする。その時の患者も、「お母さん! お父さん!」と叫んでいるうちに、地獄の底から湧き上がるような絶叫をしはじめ、それでそれまでの悩みから解放されてしまったと。 とまあ、立て続けに同じような体験をしたヤノフは、「これは一体どういうことか?」と考え始めるんですな。で、その結果、ある理論を導き出す。 現代社会では神経症に悩む人というのは多いのですが、ヤノフは、神経症になる人には共通する原初的な苦痛を体験していることに気づくわけ。 ではその原初的な苦痛とは何かというと、幼時期に親から受けた仕打ちです。 幼児期というのは、結局、要求の塊なんですな。それはそのはずで、要求しなければ赤ん坊は死ぬんだから。だから要求しまくる。そしてこの要求に、うまいこと親が対応していれば、つまり、お腹が空いている時にお乳を、おむつが汚れた時に新しいおむつを与え、不安を抱いている時に優しく抱いてやれば、人は健康に育つ。 ところが、親というのはしょうもないもので、こういう赤ん坊の要求に応えないヤツが沢山いるのよ。で、その場合、赤ん坊は少しずつ「あれ?」という思いを蓄積していく。もちろん、この「あれ?」は、不安であり、不満です。 だけど、ちょっとくらいの「あれ?」なら大したことはないんですな。そんなことはよくあることで。 ところがこの「あれ?」がかなりの頻度で溜まっていくと、これは大問題。 で、この「あれ?」が溜まって、溜まって、溜まりまくると、ついに限界がくる。で、その限界を一歩でも超えると、ちょうど一本の藁がラクダの背骨を折るごとく、幼児に決定的な影響を与えることになる。これがヤノフのいう「原初的大情景」という奴で、これを体験すると、幼児は「自分はありのままでは親の愛を受けられないんだ」という確信を抱くわけ。 でも、その確信はあまりにも辛いため、幼児の側に「防衛的機制」が動き始めます。ありのままでは愛情を受けられないことがハッキリしたので、自分の要求を押し殺し、親の愛情を受けられる自分という、別人格を育て始める。こうすれば親は喜び、自分のことを受け入れてくれる(だろう)と予想する行動をとり始めるわけ。妙にいい子に振る舞うとかね。 だけど、そういう行動は、自分の感情や要求から出た自然な行為ではなく、偽物の、人為的な行為ですからね。本当の自分の感情を殺しているわけだから。もう、人造人間ですわ。 で、後はもうずっと本当の自分ではなく、自分が育てた別人格として生きることになるわけですが、こうして大人になった時、人は神経症を発症します。っていうか、神経症の原因っていうのは、すべてこれ。 だから、神経症の人間を治療するとなったら、記憶をどんどん遡って、原初的大情景のところまで戻らないといけないわけ。で、決定的に親から見放されたと確信したその瞬間に戻り、その時に思った本当の自分の心を吐き出すしかない。 と、当然、「お母さん! 何でありのままの僕のことを愛してくれないの!」とか、「お父さん! どうして僕のことをちゃんと見てくれないの!」とか、そういう不満の爆発になる。実際、それは、本当に絶叫になるそうです。治療者の側が「絶叫しろ」と命じるわけではなく、患者の自然な反応として、結果的に絶叫になってしまうのだそうで。(だから、ジョン・レノンの「Mother」という曲の最後の部分が、母親と父親にあてた絶叫になっているわけね) だからね、原初療法がしばしば絶叫療法と呼ばれるのは、そういうことなわけ。それは、患者に絶叫させる療法という意味ではなく、患者を原初的大情景の時点に戻すと、自然に絶叫が口から出てくるということであって、絶叫は方法論ではなく、結果論なんですな。 ともかく、こうして絶叫して、原初的大情景まで戻ると、もうその後は、神経症はキレイに治ってしまって、もう後戻りはしないそうです。つまり、完治してしまう。もちろん、その後の人生においてだって、嫌な思いをすることはいくらでもあるでしょうが、神経症だった時代のように、別人格としてそれを押し殺すことはもうなく、自然で人間的な反応をするだけなので、神経症になることはない。 とまあ、これが原初療法のアルファであり、オメガであると。実に単純であり、かつ、効果的なんですな。 だけど・・・。 この先の話ちょっと、現代的には更なる検証が必要かも。 ヤノフによると、今で言うLGBT問題も、すべて原初療法で治る、というわけ。ヤノフ的観点からすると、性的倒錯って、原初的大情景後に発生するものであって、自然発生はしないと。つまり、あれは病気だっていうことになる。 だからね、LGBTの人に原初療法を施すと、普通の人に戻ってしまって、その後は逆行しないんですって。その点からすると、確かにヤノフの言う通りなのかもしれないですけど・・・これ、私が言っているのではなく、ヤノフが言っているんだから、誤解しないでね! でも、もしヤノフの説が正しいならば、LGBTは彼ら/彼女らにとっての「自然」ではないのかもしれない。彼らの立場を認めること(つまり、現在奨励されていること)は、神経症の人に「あなたは神経症のままでいなさい」と言うのと同じなのかもしれません。 まあ、私はこの本を読んだだけで、専門家ではないので、本当のところは分かりませんけどね。 とにかく、この本にはそういうことが書いてあると。 まあ、素人的には、非常に面白い本でありますし、この原初療法が、ジョン・レノンも受けるほど、当時のアメリカでは大流行した、という事実は、覚えておくべきかなと。少なくともアメリカのベビー・ブーマーたちは、この本が出た時に、相当、影響を受けたわけだから。 というわけで、この本、この時代の精神を追っているワタクシにとっては、非常に興味深い本だったのでした。これこれ! ↓【中古】原初からの叫び—抑圧された心のための原初理論 / アーサー・ヤノフ 中山 善之 / 講談社