奇書! マイケル・マーフィー著『王国のゴルフ』を読む
マイケル・マーフィーが書いた『王国のゴルフ』(原題:Golf in the Kingdom, 1972)という奇書を読みましたので、心覚えをつけておきましょう。 マイケル・マーフィーというのは、1960年代のカリフォルニア、ビッグ・サーというところに「エサレン研究所」というのを作った二人組の片割れでありまして、この時代のアメリカの意識変容実験に携わった人。と言っても、この人自身は何か特別な思想とか専門を持った人ではなく、あくまでも穏やかな裏方プロデューサーに徹した人。何せ一日に8時間くらい瞑想する人なので、そんなに強力に何か一つのことを推進できる人ではないんです。 もっとも、そういう穏やかな性格の人格者だからこそ、エサレン研究所のクセ強ぞろいの講師たちを何とかまとめていくことが出来たんでしょうけどね。 ところが、そんな仙人みたいなマーフィーは、ゴルフだけはすごく好きだったんです。この人は若い頃(1956年)、インドの宗教家オーロビンド・ゴーシュの思想にやられ、インドにある彼のアーシュラム(=共同修行所:当時は既にオーロビンドは亡くなっていて、後継者の「マザー」ことミラ・リチャードが運営していた)に1年半くらい修行に行っちゃったことがあるのですが、その際にもわざわざ寄り道してスコットランドに行き、かの有名な世界最古のゴルフの聖地、セントアンドリューズのオールド・コースでゴルフをしてからインドに向かったくらいのものですから、どれほど彼がゴルフに打ち込んでいたかが分かるというもの。 で、その後彼は、セントアンドリューズでゴルフをした経験を元に、本を書くのですが、それが本書『王国のゴルフ』でありまして、これは小説なのか、思想書なのか、よく分からない奇書となっていると。 それでは、その奇書とはどんなものかと申しますと、これはマイケルがセントアンドリューズ(作中では「バーニングブッシュ」という名前に変えられている)でゴルフをした、その一日だけの経験を綴ったもの。で、彼は旅行中のゲストとしてゴルフをさせてもらうことになるのですが、その際、シーヴァス・アイアンズというクラブ所属のプロと一緒にコースを回ることになるんですな。 で、このシーヴァス・アイアンズという人が非常に印象的な人だったと。 手取り足取り指導するというアレじゃないのですが、プレー中にほんの一言、アドバイスするだけでマイケルのプレーを劇的に変えてしまうとか、あるいはスコアをつける上でささいなずるをしそうになったマイケルを穏やかにたしなめて、神聖なゴルフ・コース上でのマナーを指導をするとか、とにかくマイケルのゴルフに対する姿勢や概念をガラッと変えてしまうわけ。で、最初はめちゃめちゃだったマイケルのスコアも、後半はシーヴァスに引けを取らないほどのものになるんですな。 で、プレーを終えた後、何故かシーヴァスに気に入られたマイケルは、その日は彼と一緒に彼の友人の家で酒盛りをすることになる。そして友人宅でシーヴァスの友人たちに紹介されながら、楽しいひと時を過ごすと。 しかし、そこはやはりシーヴァスの友人たちのこと、それぞれゴルフには一家言ある人たちばかりで、そこでゴルフ談義になるんですな。で、マイケルは、ゴルフについてこれほど真剣に議論し合う人たちがいるということにビックリすると同時に、シーヴァスのゴルフ観の片りんに降れてやはりビックリしてしまうわけ。何しろマイケルは、東洋思想を勉強するためにこれからインドに行こうとしていたわけですが、その途中で何の気なしに立ち寄ったゴルフ・コースの周辺で、ゴルフをあたかも思想のように論じ合う人々がいたのですからね。 で、パーティが散会した後、シーヴァスに呼ばれてマイケルはシーヴァス宅に行くことにするのですが、そこでシーヴァスは、深夜のゴルフ・コースにもう一度戻る、というようなことを言い出すんです。なぜなら、そこにシェイマス・マクダフがいるかも知れないからと。 で、ここでシェイマス・マクダフなる人物の話題になるのですが、この人はシーヴァスのゴルフの師匠で、仙人みたいな人。この人は、もう通常のゴルフなんてものは通り越しちゃって、自作の木のこん棒のような3番だけを使い、これまた鳥の羽を固めて自作したという古来のゴルフボールでプレーをするという。結局、この夜はシェイマスには会えなかったのですが、この師匠にしてこの弟子(=シーヴァス)ありという感じの師弟関係が明らかになると。 で、もう一度、シーヴァスに家に戻って、再びゴルフの話になるのですが、もうシーヴァスのゴルフ談義は、ほとんど哲学談義に等しいわけ。彼の家には、マイケルがこれまで勉強してきたような哲学・宗教・東洋哲学の本がずらりと並び、シーヴァス自身、彼独自のゴルフ思想を本にしようと原稿を書いている始末。で、どういうわけかたった一日一緒にプレーしただけのマイケルに素質を見込んだのか、彼に自分の原稿を読ませ、自分のゴルフ哲学を披露すると。 で、マイケルはそれに大いに啓発されるのですが、なにせ翌日にはパリに向かって旅立つ身ですから、シーヴァスのゴルフ哲学の全貌を知る前に、タイムアップでシーヴァスに別れを告げることになる。シーヴァスとしては、自分の理解者をついに見つけたつもりだったのに、マイケルがもう旅立つと言い出したものだから、ちょっとガッカリしてしまうんですな。見損なったなと。 で、そんな感じで、アンチクライマックスな別れ方をしてしまうのですが、結局、マイケルも若くて、シーヴァスの思想とその重要性に、完全に気付けなかったということなわけ。 で、その後、マイケルはインドで一年半ほど修業をし、カリフォルニアに戻り、エサレン研究所をスタートさせ、その忙しさにシーヴァスのことも半ば忘れてしまうのですが、ある時、シーヴァスの著作を見せてもらった時に作った覚書のようなものが入った箱を開けてしまい、それを読み進めてようやくシーヴァスのゴルフ哲学の何たるかをおぼろげながら理解するようになり、その結果、もう一度スコットランドを訪れてシーヴァスに会いに行くんですな。 ところが、シーヴァスは行方不明でどこにいるか分からない。シーヴァスの師匠のシェイマスも死んだそうで、あの夜、一緒に酒盛りをした人たちも散り散りになってしまった。 で、このままではシーヴァス・アイアンズの思想が分からなくなってしまう!という危機感に襲われたマイケルは、記憶とわずかなノートを頼りに、シーヴァスの言わんとしていたことを再構築しようと努めると。 で、ここからは第二部ということで、シーヴァスのゴルフ哲学が、散発的に語られます。 何しろシーヴァスの師匠も仙人みたいな人だったし、シーヴァスだってその類ですから、彼の思想も謎めいています。例えば「ゴルフボールと一体になれ」とか。「ゴルフボールは異次元世界への入口だ」とか。「真の重力を使え」とか。「内なる自分を使え」とか。ある程度の修業を積めば、念力で飛んでいくボールを自在に右に曲げたり左に曲げたりすることもできるとか。要するに、ゴルフ道も突き詰めれば、そういう神業的なレベルに行けると。 要するに、ゴルフはゴルフであることを超越し、一つの道になったわけね、シェイマスやシーヴァスにとっては。ゴルフ道ですよ、ゴルフ道。武道と同様のもの。 ちなみに、スポーツが「道」になると、もう物理法則をも超越するという考え方は、1970年代のアメリカでは盛んに広まっていました。特に合気道が人気で、その創始者たる植芝盛平は、瞬間移動すらできたと、アメリカでは本気で信じられていた時代。だから、そういう東洋武道の神秘のことをよく知っていたマイケル・マーフィーは、「なあんだ! 西洋スポーツの華であるゴルフも、突き詰めれば合気道と同じか!」と思ったであろうことは容易に想像がつく。 というわけで、東西の叡智の合流を目指すエサレン研究所を作ったマイケル・マーフィーは、自分が好きなスポーツであるゴルフも、合気道なんかと同じで、突き詰めれば道となり、その道を通じて人間の限界を突破できると信じたわけ。そしてそれを教えてくれたシーヴァス・アイアンズへの感謝の意味も込めて、『王国のゴルフ』なる奇書を書いてしまった。 とまあ、それがこの本の本質でございます。 というわけで、まあ、ゴルフを思想として捉えたっていうところは斬新ではあるものの、見ようによっては訳の分からない本ではあります。そういうのが好きな人にとってはたまらんちんの本でしょうが。 私は、何しろエサレン研究所のことを理解しようと思って読んでいるので、実に勉強になりましたけどね!これこれ! ↓【中古】 王国のゴルフ / マイケル マーフィー, 山本 光伸 / 春秋社 [単行本]【メール便送料無料】【あす楽対応】