母を老人ホームに
今日、母を老人ホームに入居させました。 4年ほど、姉が同居して面倒を見ていてくれましたが、7月のコロナ罹患・入院以来、認知症の症状が急速に進み、もう姉一人では面倒見切れない状態になりまして。致し方なく。 母が自分の年金を使って、自活するんだ、という風に解釈することもできる。しかし、その一方で、最後まで家族の中に置いておけなかったことに対してすまないという気持もあり。 今朝、姉が母をホームに連れて行く時、もちろん母にはどこへ行くのか、自分がこれからどうなるのかも分からなかったと思いますが、それでも直前まで家の中をきょろきょろ見渡していたそうで、まるで「これが我が家の見納めだ」と思っていたかのようだったと。姉がそう言っておりました。 まあ、今後、なるべく頻繁に帰省して、母の顔を見に参りましょう。 ところで、今から10年前、2013年5月3日のこのブログで、私は母と家の周りを散歩した時のことを書きました。あれから10年半経ったら、こういうことになってしまったわけですが、まだ母が母らしかった時のことを思い出すよすがとして、以下、その時の文章を再録しておきたいと思います。「母とお散歩」(2013年5月3日のブログより) 夕方、母が買い物がてら散歩に行くというので、くっついて行くことにしました。 高血圧で、さらに糖尿気味と医者に言われてから、母は万歩計をつけ、毎日3,000歩以上と目標を決めて毎日散歩するようになったのですが、今日は私も暇だったので、母が日々どんなところをてくてく歩いているのか見てみようと思ったわけ。 「この坂を下ってくるでしょ。で、ここで右に曲がるの。それで線路を渡ったところで右に曲がる時もあるし、もう少し先に行ってから曲がることもある。今日は先まで行ってみようか」 実家は住宅地のまっただ中にありますから、どの道をどこまで行こうが、基本的に他人の家ばかり。そんな他人の家を見ながら歩くのも楽しいそうで。 「ほら、これ、きれいな花ね。これはテッセン。この黄色い花は何かしら、分からない」 そのうちに、ちょっと切り立った崖のところまで出ました。その崖に突き出るように新しいマンションが出来ている。 「あら、これは危ない。崖が崩れたら危険、危険。日当りはいいけどね。」 またしばらく歩いていると、最近新しく立った家々が並んでいるところに差し掛かります。 「ほらね。道のこっち側は古い家。こっち側は新しい。古い家の方がゆったり立っているけど、やっぱり造りが古いわね。新しいのは造りもモダンだわ。ね、こういう新しい家見てて、こういう家に住んでみたいなって思う?」 「ああ、ここまで来た。ここで駅の方に曲がるの。そうすると、ね、いつもスーパーに行く道になる。歩くのにはちょうどいい位の長さでしょ」 そうして「いつもの道」に戻った母と私は、スーパーに寄って夜のご飯の買い物をし、家路についたのでした。二つに分けた買い物袋の、重い方を持つと言ってきかない母をなだめ、軽い方の袋を持たすのに苦労しながら。(了) 嗚呼、もう一度母とお散歩がしたかった。