母を喪う
本日午後、私の母が天に召されました。享年92年と8か月。 先月末、危篤と診断されてからおよそ1か月、頑張って生きてくれました。その間、ゆっくりお別れができました。 この先、葬儀やらなにやら、忙しくなると思いますので、しばらくこのブログもお休みです。 また元気になりましたら、復活させますので、それまでしばらくお待ちください。 その前に、本ブログの2013年5月3日に掲載した、「母とお散歩」と題した一文を再掲させていただきます。生前の母の雰囲気が割とよく出ていますので、母の思い出として。「母とお散歩」 夕方、母が買い物がてら散歩に行くというので、くっついて行くことにしました。 高血圧で、さらに糖尿気味と医者に言われてから、母は万歩計をつけ、毎日3,000歩以上と目標を決めて毎日散歩するようになったのですが、今日は私も暇だったので、母が日々どんなところをてくてく歩いているのか見てみようと思ったわけ。 「この坂を下ってくるでしょ。で、ここで右に曲がるの。それで線路を渡ったところで右に曲がる時もあるし、もう少し先に行ってから曲がることもある。今日は先まで行ってみようか」 実家は住宅地のまっただ中にありますから、どの道をどこまで行こうが、基本的に他人の家ばかり。そんな他人の家を見ながら歩くのも楽しいそうで。 「ほら、これ、きれいな花ね。これはテッセン。この黄色い花は何かしら、分からない」 そのうちに、ちょっと切り立った崖のところまで出ました。その崖に突き出るように新しいマンションが出来ている。 「あら、これは危ない。崖が崩れたら危険、危険。日当りはいいけどね。」 またしばらく歩いていると、最近新しく立った家々が並んでいるところに差し掛かります。 「ほらね。道のこっち側は古い家。こっち側は新しい。古い家の方がゆったり立っているけど、やっぱり造りが古いわね。新しいのは造りもモダンだわ。ね、こういう新しい家見てて、こういう家に住んでみたいなって思う?」 「ああ、ここまで来た。ここで駅の方に曲がるの。そうすると、ね、いつもスーパーに行く道になる。歩くのにはちょうどいい位の長さでしょ」 そうして「いつもの道」に戻った母と私は、スーパーに寄って夜のご飯の買い物をし、家路についたのでした。二つに分けた買い物袋の、重い方を持つと言ってきかない母をなだめ、軽い方の袋を持たすのに苦労しながら。