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カテゴリ:教授の雑感
今日も今日とて論文書き。家内もまだ具合悪いし、他にやることもないので、家事全般と論文書き、この二つでこの週末はずっと進みそうです。
で、論文書いていて思うのだけど、論文にしても著書にしても、書いている途中って、何も意味がないんだよね。未完成の論文というのは、論文ではないし、論文でなければ論文じゃないんだから、意味がない。 だから、論文を書いているというのは、意味のないことをしているわけね。 ここだよ! 論文を書くのが辛いのは。意味のないことをするのに、これほど苦労するなんて引き合わないわけよ。 ただ、論文が書き上がると、その瞬間に意味が発生する。それは論文なんだから、世の中に一つのアイディアを提示したわけでね。だから書き上がればいいんだけど、書き上がるかどうかなんて分からない。書いている本人が分からないんだから、誰にも分かるはずがない。 これが農業とかだとどうなんだろうね。農作物も論文と同じで、売れるほどに成長しない限り、意味がないっちゃ、ないのか・・・。 だけど、農業の場合、途中経過に意味はないのかな? あるような気がする。青田は、普通なら必ず実りになるから、もう半分くらい完成したようなもんだ。だから、青々とした稲を見れば、農業をやる人はそこに実りの秋を幻視して嬉しくなるだろう。 建築だって、建物を建てている途中からすでに、完成品が見えているからね。そりゃ、大工さんだって建てている途中からして楽しいでしょう。 でも、論文はそうじゃないからね。完成する前の論文なんて、ちっとも美しくない。それを見ても、ちっとも嬉しくない。モノになるかどうか、分からないんだから。 そこなんだよな。 だけど、そこを我慢して書く。ちっとも美しくないものの存在に耐えながら、それでも我慢して書く。 まあ、そういう辛い作業をしていますよ、っちゅーことで。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
February 10, 2024 06:42:38 PM
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