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カテゴリ:教授の雑感
今月下旬、某著名社会学者と YouTube の番組でトークをすることもあり、その方がこれまでどんな人とどんなトークをしてきたのか、下見しておこうと思いまして。
で、何本か、その方が出演していらっしゃる YouTube 動画を見て、ふんふん、なるほど、こんな感じかぁ、と思ったわけなんですけど、一度そういう動画を見ると、次々と同じような傾向の動画を薦めて来る。 で、事ここに至ってようやく鈍な私も気が付いたのですが、今、この手の動画って山ほどあるのね。 例えば東浩紀さんとか、大澤真幸さんとか、成田悠輔さんとか、落合陽一さんとか、國分功一郎さんとか、西田亮介さんとか、千葉雅也さんとか、まあ、およそ現在活躍中の学者さん論客さんがずらりと対談動画を出している。 そういう時代なんだぁ、って。 もちろん、この人たちはそれぞれ本も沢山書いていらっしゃることでしょう。しかし、今、人文書は売れない。活字は落ち目。だから、動画サイトを活用して自分の意見なりなんなりをどんどん公にしていこうと。そういう風潮になっているわけですな。 つまり、知のプラットフォームは、今や活字ではなく動画であると・・・。 これは、発信する側ではなくて、受信する側の要求なんでしょうな。本なんかかったるくて読んでいられないから、しゃべってくれ、それなら聞いてあげるからと。 なんということでしょう。これが時代の要請ということであるならば、世も末だよね。もっとも、私自身も、その動画番組に出ようっていうんですから、あまり大きなことは言えませんが。 それにしても、今はそれでいいとして、長い目で見た時に、本当にこれでいのかなって。活字メディアが何百年も残る、というのは既に立証されているけれど、動画がこの先、どこまで保存されるのかって、分からないじゃん? それに、偶然の話の流れのままに動画として垂れ流される情報に、どこまで価値があるのか、って問題もあるし。 そういう不安な状況を考えると、今、この時代の知の在り方って、知の断末魔なのかなって気がしてきます。こんなことやってたら、本当に知の伝統は廃れるんじゃないの?? ま、私がそんなことを不安に思っていたって、世の中、なるようにしかならないんですけどね・・・。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
May 14, 2024 03:29:13 PM
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