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カテゴリ:教授の雑感
大学で教養英語的な授業も担当したりなんかしていると、英語の入試問題の作成なんかにも多少は関わらないといけない羽目に陥る時もあるんだけれども、最近の「受験英語」ってどうなっているんですかね?
私なんかが受験生だった頃は、確固とした「受験英語」というものがあって、英語の出題には一定の型というか、しきたりがあったのよね。だから、受験生は、そのしきたりを沢山学んだ奴が勝ちになるのであって、敵がどう攻めてこようと、その攻め手に応じた受けを全部知っていれば、全問正解することができた。 だから、学校の先生にせよ、予備校の先生にせよ、英語の先生ってのは、「こういうのが出るよ」というのを受験生に教えれば良かったのよ。 あれはいい時代だったねえ。 ところが今は、そういう出題の型みたいなものがないから、勉強するったって、茫漠としたつかみどころのないものを勉強しなければならない。っていうか、何を勉強すればいいのかすら分からないんだろうね。 で、結果として、何も分からないんだ、受験生は。 だから、私なんかが自分の受験生時代を思い出して、「これ、一番よく出るヤツ。受験生なら誰でも知っているヤツ」と思って出題しても、誰も解けないという・・・。もう、何が簡単で、何がひねった出題なのか、誰も分からないんだな。 これが、受験英語なんて役に立たない、リアルな日常の英語を学ばせるんだ、などと文科省が意気込んだおかげで生じた、英語力だだ下がりの状況なんだろうね。 だから、英語の問題作る方も大変よ。何を出したって、誰も何も分からないんだから。 「クジラが魚じゃないのは、馬が魚じゃないのと同じ」みたいな、クジラ構文があった頃が懐かしいね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
August 7, 2024 11:39:26 PM
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