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カテゴリ:教授の読書日記
先日亡くなった福田和也氏の本を一冊も読んだことないなー、と思い、試しに一つ、読んで見るかと思ってテキトーに買ってみた『悪の読書術』という本、ざっと読んでしまいました。
これこれ! ↓ 【中古】 悪の読書術 / 福田 和也 / 講談社 [新書]【宅配便出荷】 で、読んで見たのですが、これがまあ、つまらない本でありまして(獏!) この本のコンセプトは、一言で言えば「社交としての読書」。読書なんて、読者が好きなものを好き勝手に読めばいいわけですが、しかし、いい大人が子供騙しの本の愛読者であることを公表したりすると、それはそれでお里が知れるところがある。つまり、そういうのは「社交としての読書」としては失敗例になるわけですな。 だから、こういう本を読んでいる、または小脇に抱えていたりすると、一目置かれるぞ、的な本を、ケース・バイ・ケースで紹介していく――これが本書の趣旨であるわけ。 えーーー?! それって、本の読み方として、どうなの? って、思いますよね? 実際、本書のレビューを見ると、この点を批判したものがわんさか出てきて、「何を読もうがこっちの勝手だ!」とか、「昭和のおじさんに、こういう本を読んだら知的にみられる、などと言われたくない」的なコメントがずらずら並ぶ。 まあ、そりゃ、そうなりますよね・・・。私もそう思うもん。 というわけで、この本を読んで、何一つ学ぶところがなかったのでした。なーんだ、福田和也なんて、この程度のものか。だったら、恐れるに足らずだなあ・・・。 ところが。 今朝の読売新聞に、島田雅彦氏が福田さんを追悼した文章が掲載されていまして。 それによると、島田さんが福田氏に初めて会ったのは、某文壇バーであったと。その時、島田さんはイタリア人の女性を連れていて、その女性と会話を楽しんでいたのですが、そこに横やりを入れてきたのが福田氏だったんですって。 最初は、冷やかしのような茶々を入れてきたのですが、そのうちヒートアップしてきて、ピーナツを頻りに投げつけてくる。まあ、酔っ払いが絡んできたようなもんですわ。 でも、そんなきっかけで島田氏は福田氏と懇意になり、その後、対談やらなにやらで一緒の仕事を何度もするようになった。 で、島田氏曰く、福田氏は、そうやって自分の興味のある人に対し、半ば喧嘩を仕掛けているかのようなちょっかいを出しては、関係を結び、その後、その関係を育てていくような感じで人とつながる術に長けていたと。 そうした福田氏のつきあい術を称して、島田氏曰く、「福田氏の場合、社交と批評は表裏一体をなしていた」と。 ふうむ、「社交と批評が一緒」か・・・。 そんな島田氏の福田氏評を読んで、福田氏のいわゆる「社交としての読書」というものを再考してみると、読書とは社交の土台を成すもの、という考え方が福田氏にはあったのかもね。そういう風に考えると、この本は、福田氏自身の読書観を示したものであって、他人にこういう読書の仕方を勧める、という体のものではなかったのでありましょう。 というわけで、島田氏の追悼文をタイムリーに読んだことで、私の福田和也観も少しだけ修正されたところがあります。 でも・・・、まあ・・・、どっちにしてもあんまり私にとっては参考にならない本ではあったかな。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
October 1, 2024 07:08:25 PM
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