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カテゴリ:宇宙
抽象の段階に上下関係を加味して申しますと、段階が下に行くほど具体化が進んでいくという関係があります。
抽象の段階を上に辿りまして、行きつくところは1点に集約されて行きます。 ミヒャエルは思うのですが、抽象の段階に照らし合わせて形而上と形而下を観ると、面白いと言えるのでは? 命の営みのレベルから意識のレベル、更に見えざる世界へと駆け上がれば、一点に結論が集約されて行くのではないでしょうか? 形而上の世界における形而下へのブレークダウンの始まりカオスが生じ、生命体へと抽象の段階が下降し、神が出現し、神の声を伝える師が出て、それが分岐し抽象の段階がさらに下降を続け、今の世の中と言う形而下世界があります。 今の余でできることは、この抽象の段階のブレークダウンを、一気に集約して、抽象の段階を急速にステップアップしていき、原点に到達すること、これは、自由自在に駆使できる思考と言う意識世界を手に渡されている、人類にしかできない技です。 迷える子羊にはそれが出来ません。子羊は瞬時に脱皮して、奇跡的にステップアップできる階段に踏みいれられるなら、駆け上がることも可能です。 それは、自分が迷える子羊であると気付くことで可能になります。気付けば、意識の行使が許される仕組みになっているのですから。 意識世界を理解できたつもりで、抽象の段階の途中に知らず知らず立ち止まっている場合も、迷える子羊と立場はほとんど変わりません。 何を伝えたいか、これは天の声その侭ですから、これ以上のブレークダウンは不可です。ブレークダウンするには、迷える子羊の居る場所まで下がって行かなければなりません。すると、この場の啓示は、意味の異なるものになってしまいます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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