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カテゴリ:雑感
高砂百合の群生を見かけてから、2日続けて高砂百合を撮りました。
次の日にも近くを通ることがありました。熊手を持って作業する手入れの会社の作業員さんを見かけました。 まさか!と思いながらも嫌な予感を得て覗き込みました。奥まったあの高砂百合が群生していた場所は綺麗に刈り込みが終わり、茅萱だと思われた草の葉が綺麗に除去されて、残ったのは芝生だけでした。 そうです、蕾をつけた高砂百合の花茎はもちろんすっかり消えていました。 二日間少ない数ながら画像に残しておいて良かった!来年もしまた目を吹けばはなにであえるんですが・・・。 管理サイドの思惑、作業する人、に結果は依存しますが、今回はだめでした。 たとえ野の花でも花として愛でる気持ちがある人かそうでない人か、見て楽しむ人があるかも?との思いがある人なのかそうではない人なのか、中には残しておく心根の人もあるものの、そういう思惑に期待できなかったのは残念でした。 「ああなくなったんだね!」それで終わらせられる「鈍」な人間でいたいと、つくづく思います。だったら、言葉が気になることもなく、人にどのような扱いをされようと気にすることもなく、人を傷つけはしないか?と心配することもなく、少し寿命も延びるというものかもしれませんけれど。 人のことを気にかけて、より良くなってもらいたいと思うことも、影響力が及ばないもどかしさも、もともとそんなものを持ち合わせなくてもよろしいわけですし、よしあったとしても気にすることもなくのほほんと過ごせるんですけどね。 ああどうしよう、あすはどうなるだろう、などなど一切気にしないでいられたら。 やはり解脱でしょうけどね、生きながらそうなれるなら好いのですが、ミヒャエルはまだその域には届いていないようです。 明日は「処暑」だそうで、それにしても今日も結構暑いです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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