良い年をして!と思うけれど、今でもあれこれ欲しいものが出てくるのです。
これも好奇心の一つの発露だと、自分では思うのです。
何かに興味を持って、実際に動くというのが、奉仕鋳物への気付きと購買行動です。これがなくなるということは、ある意味好奇心の薄れというわけだからです。
あれを遣るのも億劫だ、第一歩くのが億劫だ。
考えるのが面倒くさい。
それを遣るのは面倒で嫌だ。
人と関わるのは気兼ねが多くて嫌だ。
どんどんと物・人・事象との関わりから遠ざかっていく事になってしまっては、もう人間も終わり、体も精神も活動しなくなるわけですから、朽ち果てるだけです。
そういう道筋で考えを進めると、今のところ自分は未だ朽ち果てるパターンにはハマっていなさそう!
などと勝手な自己評価に落ち着くのでありました。
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