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「向こう側」と「こちら側」。
その間にある壁。この壁は、しばしば私にとっては絶望的だ。「向こう側」はこちらにいては見えない。 「向こう側」と「こちら側」をつなぐもの。その壁を媒介する役割を果たすのがメディアだ。 メディアは、ニュースを生産する。ニュースというのは起こった事実だけれど、起こったことをニュースにするには編集という作業が必要になる。同じ映像を使っていても、たとえばBGMが異なれば映像から受ける印象が全く違ってくるように、ニュースは編集によって脚色が可能だ。というより、脚色することなしにニュースを作ることはできない。 「メディアは自らを映す。何が善悪かではなく、自分たちがどこへ向かおうとしているのかということを示す。」 とおっしゃったのはアルジャジーラのスタッフの方だった。 この言葉を私なりに解釈すると、「商業ベースのメディアは私たちが欲しがっている情報を生産する。だからメディアの流す情報はしばしば自分たちの鏡でもある。そこで何が善とされ、何が悪とされるかは重要ではない。何を善とし何を悪としているかで、私たちがこれからどこへ向かうのかがわかるのだ」ということなんだと思う。 アルジャジーラは世界で唯一、独立しているといってよいメディア。独立している、ということは他から干渉を受けないということ。干渉を受けないということは、あらゆる立場の視点から報道することが可能だということだ。できるだけ客観的であろうとする、その報道姿勢には、心を打たれるものがあった。自分の主義主張を語り、それを人々に押し付けるのではない。ある視点を提示し、それを見せることで「これを見てあなたはどう思いますか」と問いかける。そんな姿勢が感じられた。ひとつだけではなく、複数の視点を示すことで視聴者に考えるきっかけを与える。 ひとつの視点からのみ報じるメディアは危険だ。ひとつの視点からのみある報道がなされると、人々はその情報を正しいと思い込む。そして考えなくなり、思考停止する。 もちろん、完全に客観的なメディアは存在しない。ある情報を取捨選択する時点で、そこにはすでに意図が入り込むからだ。でも大事なのは、複数の視点を提示するということ。それでもって判断すること。 スクリーンの「向こう側」にある風景。映し出されるものだけではなく、映し出されていない部分に想いをはせる少しの想像力。自分が見たもの、もしくは見えているものだけが事実ではないこと。そして見たものすらも疑おうとする姿勢。 今私たちに必要なのは、「向こう側」を想像する力だ。 想像力、そして悟性を取り戻せ。 ……以上が今日のシンポジウムで「視覚の地政学」で学んだこと、そして本を読みつつ、考えてきたこと。 私たちは、いつの間にか人から植え付けられた価値観やものの見方に支配されて生きている。植え付けられた意見や価値観をあたかも自分が考えたものであるかのように錯覚している。そしてそれに翻弄される。しばしばそれは無自覚でさえある。想像力や悟性を取り戻すということは、「向こう側」、そしてそこにいる人々を思いやることだけにとどまらない。自分自身を取り戻すことにもつながるはずだ、と思う。考えないこと、思考停止することはものすごく楽。悩まなくてもいい、思い煩うこともない。でも私は、提示されたものをただ受け入れるのはいやだ。自分の人生だから、自分で考えて、自分がいいと思ったように生きたい。 だから一つの視点からしかものを語らない、メディアが言うことだって、そのまま受け入れる気は全くない。 想像力を取り戻そう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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