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飲み込まれたくない。 バイトで週一回早朝の満員電車に乗るだけでも疲れてしまうのに、一体4月から毎日片道一時間半、この電車に乗るのに耐えられるんだろうか?と思うとちょっと気が重い。といっても大半の人がそれをガマンして通勤してるんだろうけど・・・ 何よりイヤなのは、人口密度の高い殺伐とした電車の中にいるだけでイライラしてくることだ。別に苛立ちたくないし、苛立つ理由もないのに。その苛立ちに対して、私はいつも反抗したくなる。人が苛立ってるのに反抗するんじゃなくて、自分が苛立ってくるのに対して反抗したくなる。苛立ってその場の雰囲気に飲み込まれるのが嫌だから。常に「外」から客観的に電車の中を眺めていたい。その場にいると同時に。 私は最近殺伐とした満員電車に乗ると、アウシュビッツへ囚人たちが輸送されていく場面をなんとなく思い浮かべてしまうことがある。飛躍・誇張しすぎだけど、「行きたくない場所」へ向かう電車、という意味で。 まあ、そう思いつつ、満員電車に乗ってる自分を笑い飛ばす。苛立ちそうになったら、そんな自分を笑う。音楽を聴いたり、本を読んだりして、別の世界とつながりながら、周りの殺伐とした状況から距離を置く。そしてそこから今自分のいる状況を見る。そうすることでその場から自分を守れる気がする。 いつもどこかで飲み込まれたらおしまいだって思ってる。いま自分がいる場所、それが全ての世界じゃない。いつもどこかで別の世界とつながりながら、そのことでいま自分のいる世界を見直す。飲み込まれないように、飲み込まれないように。そうすると、今自分のおかれた状況を笑い飛ばせる気がするんだ。満員電車だけじゃなくて、社会に組み込まれている自分自身や、それを取り巻く社会を見るときにおいても。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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