カテゴリ:日々思うこと
魯迅といえば、中国白話文学の代表。と世界史を習ったことのある人なら覚えていることと思う。私にはそれ以上の知識がないけれど、魯迅についてはあるエピソードが今も印象に残っている。 「阿Q正伝」の主人公である阿Qはどうしようもない人間だ。あほであり、社会の最下層にいる存在。そして周りからも軽蔑・侮蔑されている。けれど阿Qはそんな自分に嘆くこともない。世間のことなどどこ吹く風なのだ。自分は落ちぶれた存在である、ということは自覚している。でも、いつでも自分よりも暮らしぶりの悪い、自分よりもひどいと思われる人間はいるものだ。自分よりも「下」である人間を見て、自分はまだ「上」だと考え優越感に浸る。阿Qはそういう人間だった。 魯迅は、日本の仙台医学校(現在の東北大学にあたる)に留学していたという。留学中、日本人からあるビデオを見せられたそうだ。それは、日本人が中国人を殴っている、という内容のものだった。魯迅はこれに大ショックを受けた。とはいっても、日本人が中国人を殴っていることにショックを受けたのではない。中国人が、殴られている同胞の中国人を見て笑っていることに彼はショックを受けたのだった。 これが、阿Q正伝を執筆するひとつのきっかけになったという。これは東北大学で伝えられた伝説だ、と東北大学出身の世界史の先生が教えてくれた。これが実際に本当の話かどうかはわからないけれど、それはそれで印象に残る話だった。差別されている人間が更に「下」である人間を見て笑う。そういう当時の中国人の状況(もちろんもっと様々な背景も含まれていただろうけど)を嘆いた。そして憤りを感じたんだろう。誰か他人を否定しないと自分のアイデンティティを保てない。そういうのは、よくあることだ。 話は変わって、大学の先生が、私の卒論を読んでくれたときに「文章っていうのはやっぱりその人の思考方法を表してるのかな」とおっしゃった。なるほどなあ、確かに文章を読むとその人の考え方がわかるし、何を大事にしているのかわかるような気がする。まあ、当然のことといえば当然かもしれないけど、作家にとらわれず、友達とか、いろいろな人の文章を読むと本当にそう思えてくる。 文学はその当時の社会背景が多分に影響されるものだ。その社会の中で自分は何を貫き通すのか、それを文学に託した人たち。そう考えると、文学はその人の思考方法を表すだけでなく、生き方そのものといえるかもしれない。魯迅を読んだのはもう4年前だけど、そんなことを考えつつ今一度読み返そうと思った。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
February 12, 2005 05:05:57 PM
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