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生態系が多様であればあるほど自然環境のバランスが絶妙に保たれるように、主義も多様に共存している状態の方が(・・・無理なのかしら・・・)うまくいくのではないか、と最近思い始めた。資本主義一辺倒のこの世界みたいに、何かひとつの主義で世の中が支配されるっていうのにはやっぱり無理がある気がする。 歴史的に共産主義は「敗北」してしまって、もと共産圏の国に住む人々がその結果から共産主義を全否定し憎んでいるのは、悲しいと思ってしまう。私にいえた義理じゃないけど。その問題意識は今も新しいと思うし、その考え方は今も十分生きている。ずっと気になりつつなかなか手をつけられなかったのだけど、ようやくマルクスの端っこをかじってみた。ほんの少しだけ理解して、その考えはスロービジネスにつながるものがある、と感じた。 そのひとつの思想は、「自分の身体は自分のものではない」ということ。資本主義の根底のひとつには「自分の身体の自己所有の正当化」があるらしい。それが、労働力の商品化になっていく。ここで書くと長くなるからやめるけど。。。 なにか、「資本」っていう目に見えない、得体の知れないもの。私はほとんどこれを怪物のように捉えてる。資本は、雪山の上から転がす雪だま。それが大きくなって地球を踏み潰していくような。。。そんなイメージ。それに振り回されて生きているような日常。でも、実際には振り回されているだけではなくて、その「あいだ」やすきまで生きていくことも十分可能で、そうやって生きている人がたくさんいる。その手段の一つがスロービジネスなんだろう。資本主義社会の中のすきまに立ち、下から多様化を促していく手段としてスロービジネスを捉えられるかもしれない。資本主義、一辺倒を少しずつ、崩していく。 社会人になって自由にお金を使えるようになってから、使うならば、スローな世界にお金を費やすようにこころがけるようになった。今はファストな世界で生きているけど、ファストな世界で手に入れたお金を、使える分、スローな世界に回す。そう考えることで、自己満足を得てる。 今は、「あいだ」に生きてる。スローとファストの間。もしくは、資本主義とそのオルタナティブなものの間。中途半端といえば望ましくないかもしれないし、早く脱却したいとも思う。だけど今はせめて、あいだに立つ。 あるものの支配下で、従順でいるように見せかけて、ささやかに反抗する。マイナーすぎる言葉だけど、それを「ペルーク」と言ったりする。「あいだ」に生きるっていうのは、そんな言葉で表せる。たぶんそんな感じだ(←カルスタの影響大)。そしてスロービジネスもペルークなのだと思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
July 13, 2005 09:05:18 PM
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