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せっかく蘇州にすんでいるので、
蘇州関連の歴史を勉強してみよう!! ということで、陳舜臣の十八史略を読み始めました。 まだ読み始めたばかりですが、 はやくも蘇州を舞台とした故事が次々出てきます。 この地域が歴史の表舞台に出てくるのは 春秋時代の後半、 「呉」や「越」の国がおこった頃のようです。 中でも有名なのが、 「臥薪嘗胆」。 伍子胥という人が、楚の国をおわれ 呉の都(今の蘇州あたり)にたどりつく。 乞食をしながら後の呉王/盍閭(本当は門構えに)に巡り会う。 やがて盍閭が越の国(今の紹興あたり)を攻めたときに、 越の名将・はんれいの奇策で敗退し 命を落とす。(「虎丘」はもともと盍閭の墓だったらしい) 後を次いだのが、 息子の夫差。 父の恨みをわすれないため、 毎晩薪の上に横たわったという。 やがて国力を蓄え、 父の敵である越王・勾践を破る。 ここで伍子胥は呉王・夫差に 勾践を殺すようにすすめるが、 夫差は勾践を捕虜にするだけでゆるしてやる。 その後夫差は、 越から送られた絶世の美女・西施のいいなりになり、 ますます伍子胥のいうことに耳を傾けなくなり ついには自害に追いやり、 伍子胥の死体を馬の鞍につけて揚子江に沈めてしまう。 伍子胥をしたった領民が 蘇州の胥口で死体を引き上げて葬ったという。 その後、表向きは恭順を装っていた勾践は、 毎日肝を部屋に吊るして嘗め、 その苦さによって配線の屈辱を忘れずに機会を待つ。 やがて夫差が遠征に行っている間に 勾践は反乱を起こし、呉を滅ぼす。 夫差はやはり伍子胥のいうとおりだった という自責の念とともに自害する。 というわけで、伍子胥をまつった遺跡が 蘇州にはたくさんあるようです。 そういえば盤門にも伍子胥の像があったような。 普段なにも考えずにとおりすぎていた通勤路や 会社のすぐそばにも2500年も前の物語が つまった場所がたくさんあるということがわかり、 少しだけ嬉しくなりました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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