今回の能登半島地震は、非常事態が発生すると「想定外」の連続になるという現実を、まざまざと見せつけてくれました。
被災地の範囲が限定されているため、救援部隊や物資を送り込むことは困難ではないと思っていたところ、各所で「道路サービス」が寸断。停電で通信が途絶した地域もあり、結局は「人」が徒歩で進むしかない状況が生まれている。
もちろん、国土交通省(北陸整備局)や地元の土木・建設業は、速やかに幹線道路を復旧させましたが、それだけでは足りない。
『輪島市、珠洲市、能登町へのアクセス道路の啓開作業が完了…能登半島地震
能登半島地震で通行困難となっていた、能登半島南部から輪島市、珠洲市、能登町へのアクセス道路において、国土交通省北陸地方整備局 と日本建設業連合会で車幅拡幅等の啓開作業を行ない、1月4日15時00分現在作業が完了し、大型車の通行が可能となった。(後略)』
ちなみに、啓開とは元々は軍隊用語で、 道路などの障害物や危険物などを取り除き、進軍を可能にすることを言います。道路が「復旧した」というのは少し違います。
とにもかくにも、被災地への幹線ルートを確保したものの、そこから先の「枝葉の道路」の部分で苦戦しています。
陸自は、各地の物資の拠点から、背嚢に荷を詰め、土砂崩れで塞がれた道路を、泥をかき分けつつ進まなければならない。時には、岩場や山々を乗り越え、ようやく目的地に到着する。
そして、戦場さながらの悪路を乗り越えた先には、普通の街なみがあり、普通の暮らしがあるわけです。
―――――――――――――――――続く――――――――――――――――――
記事タイトル: 地震そのものを生き延びた後の「サバイバル」
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