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カテゴリ:煙のマントを羽織って
喫煙というものは習慣であり中毒である。帰宅後のとりビーも中毒化するけどね。 喫煙に関する考え方は、喫煙者も非喫煙者も千差万別だ。本数の違いはもちろんのこと、やめようと思っている人もいればやめる気が全くない人もいる。非喫煙者でも他人の喫煙に寛容な人もいれば、親のかたきのように嫌う人もいる。紙たばこは吸わないが、ときどきシガーをくゆらすというオンリー・シガー愛好家もいるし、自分では全くやらないのに、シガーの香りを「あー、いい香りですね~」とおっしゃる人さえいる。 そんなだから、ある場所で喫煙に関して誰もが同じマナーレベルを保ついうのは難しいことだ。 ここは禁煙です、と明確に言われればそれに従うしかないので悩む必要もないけれど、喫煙可の場所で非喫煙者がたくさん居て乳幼児までいる状況(たとえば親戚の家とか、レストランとか)では、喫煙者それぞれのマナーレベルがある。 赤ん坊を気にせずどんどん吸う人、断って吸う人、遠慮する人、はたまた赤ん坊がいるのだから煙草はやめろと説教する喫煙者さえいるかもしれない。 BARも似たようなもの。喫煙可能な場所で喫煙者と非喫煙者が同居する。
すでに喫煙者がたくさんいれば、遠慮してもしかたないであろう。 誰も喫煙していない状況であれば、喫煙に寛容な人なのか不快に思う人なのか判断できるまで様子をみる。するとその人も煙草を取り出したりして、ほっとする。 食事中やワインを鼻からすすっている人が店を占拠しているときは、さすがに遠慮しようと思う。僕自身でさえ食事や特別の酒を飲むときは、入店からその味を満喫し終わるまで吸わないでいることがある。 すぐ隣に煙草を吸っていない知らない人がいて、こちらがどうしても煙草を吸いたいと思ったら、「吸ってもいいですか」と聞くのがベストだな。 だめという人はまずいないから、「どうぞ、かまいませんよ」という大人な言葉に甘えて、罪悪感を軽減するという偽善的な行為なのだが、逆にその一言が会話のはじまりとなって仲良くなれる可能性もある。一石二鳥だ。 もしもいやです、と言われれば、外に出て吸うしかない。わだかまりが残らないようスマートに。 でも残念ながら、お勘定して店を出た後、煙が充満したBARを訪れる次の非喫煙客のことまではなかなか思い至れない。 非喫煙客にばかり遠慮させては申し訳ないから、喫煙客も5分5分に遠慮すべきであろうとも思うけれど、何がいったい5分5分なのか、そのレベルもひとそれぞれだし・・・ (続く・・・) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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