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カテゴリ:BARうちんち
3連休、結局お月見には行かなかった。たまには家庭的であるべきだという自制心を、給料日までまだしばらくあるのにすっかり軽くなった財布が応援してくれていたからね。まったくもって貞淑な財布である。 久しぶりにサマーセット・モームを読んだ。 学生時代に読んだ「月と6ペンス」は、僕の人生に大きな影響を与えたような気がする。ご存知の方もいるだろうが、これはゴッホとゴーギャンがモデルとなっている。「月と6ペンス」を読み、僕はゴーギャンの生き方に憧れた。ゴッホにはなれるかもしれないが、ゴーギャンにはなれないであろう自分が悲しかった。 人間的に問題が多い人間が、人間的に魅力がないというわけではない。 不道徳な人は、自分自身の道徳に従っているだけなのだが、その個人的な道徳が社会的な道徳観念と違うために絶対的に批難される。 その不道徳をどこまで許容できるかという基準は、個人個人にしかないはずだ。なのに世間という曖昧模糊としたものに基準を決めてもらっている人の多いことか。 あの頃、そんなことを真剣に考えていた。 この休み中に読んだのは、「お菓子と麦酒(Cakes and Ale)」。 ロウジーという、ふしだらな魅力的な女性が登場する。ちょっとマノン・レスコーを彷彿とさせる金色に限りなく近い銀色の肌を持つ愛嬌のある女性だ。 たいてい悪女というものは、社会的には悪女であるかもしれないが、それは分別ある女性達が築きあげた道徳なのじゃないかと思うのだけれど、男達にとって、あるいは個人的には、間違いなくいい女なのである。 女性が女性を批難するとき、批難される方の女性を弁護したくなるのは男の性(さが)でもあるしな。 ロウジーに捨てられた文豪は、よぼよぼになった後、しょっちゅう家を抜け出してBARに入り浸っていたらしい。そのBARの店主が回想して言った言葉を載せておこう。
もちろん私どもはいつもドリッフィールドさんがくつろげるよう手を尽くしましたよ。安楽椅子にかけていただこうとしてもだめなんです。どうでもバーに腰掛けるというんです。足を横木にのせているのがいいんだそうです。どこよりもここが一番お楽しかったんじゃないでしょうか。 「わしはバーが好きだよ。バーにいると、人生が見られるからね。わしはいつも人生を愛してきた。」 とよく言っておられました。面白い方でしたな。
あー、こういう文章を読むと、胸が焼け焦がれるほどBARに行きたくなる。それなのに、いまだに僕はかみさんの機嫌を気にして、休日の夜にはBARに出かけられないのだ。 行動にうつせず、ぼやくだけ。情けないぜ、まったく。 ちなみに、絵は「FALLEN ENGEL」というカクテルを飲み干した後のグラス。特に意味はない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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